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「雑草の発芽率の悪さの重要な意味」

僕は無肥料栽培をしていて、どうしても理解出来ない現象に、色々考えあぐねた時期がある。

それは一つではないのだけど、その中の一つが、雑草の発芽率の悪さである。雑草はたった一つの株だけで何百という種を蒔くが、発芽率は、おそらく1%に満たないだろう。野菜に比べるとかなり発芽率が悪いのだ。

雑草は強く、野菜は弱いというイメージから、雑草の方が発芽率が良さそうなイメージがあるが、そうではない。実際は全く逆なのである。

そのことについて、あるときヒントを見つけた。それがミネラルの循環である。

ミネラルは山に溜め込まれている。これは元々海だった場所が隆起したからだ。海の底に沈んだミネラルは、やがて山となって平野部に雨と共に流し始める。川や地下水、生き物の死骸としてだ。

これらは再び海に戻り、また、海の下で次の隆起を何千年も待つことになるのだが、平野部を流れている間に、植物は根からミネラルを吸収し、体内に蓄積する。自らが生きるためと、次世代の命を育てるために。

植物は種をつけ終わると枯れていく。この時、身体を構成する炭水化物、タンパク質は炭酸ガスや水に戻っていく。元々、それらは炭酸ガスと水から作られているからである。

そして、最後に皮と種だけが残される。この二つは形としてしっかりと残る。それは何故か。

これこそ、土から得たミネラルだからである。植物は空気や水から得たものは空気や水に戻し、土から得たものは土に戻して、一生を終えるのだ。

つまり、皮と種には多くのミネラルが含まれているということに気付く。いや、そんなのは当たり前だろう。食養ではよく聞いた話だ。皮も種も食べてこそ、全ての栄養素を得ることが出来るという、一物全体の考えなのである。

なるほど、そういうことか。

雑草は、次の命を繋ぐために、生命誕生の素として種を蒔いているだけではない。溜め込んだミネラルを土に戻すために、大量の種を作って、地上にばら撒いているのだ。

種には多くのミネラルがある。米糠や小麦の麩が栄養価が高いように、ミネラルは種の周りに集まってくる。その種をばら蒔き、一部は新しい生命となり、残りは芽ぶくタイミングを待ちつつも、芽ぶく必要がなくなれば、ミネラル供給源となっていく。

雑草の種の発芽率が極めて低い理由がこれでハッキリとした。二重、三重に仕掛けられた、生きるための知恵だったのである。

いやはや、なんとも凄い法則ではないか。何一つ無駄なものなど、この世には存在しないということの証なのである。

さぁ、種を守り続けよう。

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