「時」

時というものは残酷である。

楽しい語らいの時間はあっという間に過ぎ、大切にしていたものは無残に朽ちて行き、人は年老いて勢いを失う。つい今しがたそこにあったはずのものが手元から消え、昨日出来たことが今日出来ない。人は焦燥し、懐古し、悔恨を感じる。

手にしていたものの価値を失い、自分がして来たことの意味を見失い、生きて来た意味すらも見失う。なぜ時間は過ぎて行くのだろうか。なぜ大切なものは朽ちて行くのだろうか、なぜ人は老いて行くのだろうかと考えても、哲学は答えを教えてくれない。ただ、そこに事実があるだけだ。

しかし、ひとつだけ答えを教えてくれるものがある。それが大自然である。自然を観察していると、次の時へと受け渡される、幸福と価値と命があることに気づかされる。

楽しい語らいは、次の楽しい語らいへとバトンタッチされ、誰かを待ち受けている。大切なものは、新しい価値となって次の人に受け渡される。老いた自分の命は、次の命へと引き継がれて行く。

幸福を独り占めしてはいけない。この世の中に生まれてきた命や物が次の幸福に引き継がれてこそ、この地球上の生命全てが幸せに包まれる。幸福な時間は、次の幸福を生むためにいつか必ず終焉し、手にしたかった大切なものは、次の大切なものを生み出すためのノウハウとなり、芽生えた植物は、種を付けて次の命へと繋がる。

それが「命のリレー」である。

枯れることを恐れる必要はない。終焉することも恐れる必要はない。自然界の中では、それが必然であるからだ。幸福が全ての生き物に満遍なく行き渡るように、自らはいつかは枯れ、終焉しなければならないのだ。その時、本当の意味での幸福が訪れるのかもしれない。

時は決して残酷ではない。時が過ぎるということは、全ての人や物に本当の幸福を分け与えることである。時は「命のリレー」を繰り返しながら、いつもそこに静かに存在しているだけである。