和文化倶楽部第22弾円満結束 | みどりの果敢な北京生活

みどりの果敢な北京生活

11月10日。最高気温19度。最低気温9度。空気質量指数203。

  13時開始。司会は北京日本文化センターの職員。「こちらがみどり先生です。自己紹介をしてもらいます」等と言って、すぐに私の番。自己紹介すっかり忘れた。ま、いっか。
 
  先週炎黄芸術館でやった方法と同じ。但し、今回は年賀状。




   まずは水彩絵の具で型ぼかし染め。型は私が厚紙で切った。正月って素材はたくさんある。でも、シルエットでハガキの絵柄でいいものはなかなか難しい。獅子舞を切ったけど、アタシ職人じゃないから!もうね、大変だったよ。紙切りながら、アタシがキレそうになった。獅子舞はやめた。で、鶏、門松、梅にした。水彩が終わって、金箔。「手で触らないで!粉々になるから。咳とかくしゃみとかしないで!すぐ飛ぶから」。



  今日は日本語上級者が多く、ほぼ日本語でしゃべった。いつものように「かなの変遷」を解説。万葉集の頃(奈良時代)は日本には言葉はあったけど、独自の文字がない。中国から入ってきた漢字を使っていた。平安時代は枕草子の例を挙げて、漢字の草書からひらがなができて、それを使っていたが、今のように一字一音ではなく、複数あった。そして1900年に小学校令施行規則が発布され、いまの五十音図になった。その後、ひらがなを書くときの注意を話す。「あけましておめでとうございます」を練習してもらう。

  書き始めて、センターの職員がすぐ私に言った。「先生のお手本の上に半紙を置いて書いている人がいますけど、ダメですよね」。おいおいおいおい!中国人!上手に書きたい気持ちはわかるけど、私は普段の字を見たい。そして「見ながら書いて!」と全員に注意した。それでも、まだまだ写している人が私が見つけただけで3人はいた。油断もスキもあったもんじゃない。指摘すると一人「初めの一枚だけいいですか」。そこまで言われたら、「一枚だけはいいよ」。





「錦戸亮も小栗旬も」は友達にプレゼントすると。


   「よいお年を」と書いている子がいて、全体に説明しようと思ったけど、すっかり忘れてしまった。「あけましておめでとう」の横に「よいお年を」と書いたらおかしいのは、中国人だと気づかない。どちらも中国語では、「新年快楽」だと認識しているからだ。

 これまで何人かの日本人に言われたのだが、「日本語のできる中国人が12月31日に『あけましておめでとう』と言った。これはどういうことか」と。「祝你新年快楽」を忠実に訳すと、「新しい年が楽しく過ごせますように」だから、中国語なら12月31日でも1月1日でもおかしくない。でも、「あけまして」は新年が「明け」てからなので、12月に使うのはおかしい。それを知らない中国人がいる。これも言うの忘れた。不覚だ。未明湖より深く反省(それって浅いんじゃ?)。

  このイベントは有意義だ。一番初めに書いた字よりメキメキ上手になっていくひらがなを見るのが何よりもうれしい。それを言うと、「先生の教え方がいいんです」と言われる。そりゃそうだ。こっちは自信を持って教えている。また是非ヒトの役に立ちたいと心から思う。