今日はグロテスクな部分があるので、ダメな人は読まないように。グロは赤にした。中国の歴史、怖いよ。
羑里城遺跡は河南省安陽市湯陰県の北約4キロにあり、文王廟とも呼ばれる。中国最初の牢屋があったところで、周易の発祥地でもある。
入口。
横にチケット売り場があり、38元を払う。入ると、どどーん!周の文王。
西侧巨碑上刻“周文王羑里城”六个大字,字大如斗,深厚有力。该碑原为指路碑,是明朝彰德府(治所在今河南省安阳市)知府尚玑所题,立于明成化四年(公元1468年)。
おお!これは「岣嵝 [gǒulǒu]碑」じゃないか。原在湖南省衡山县云密峰,早佚。昆明﹑成都﹑绍兴及西安碑林等处皆有摹刻。湖南省の衡山県雲密峰にあったのだが、早くに失われ、拓本から翻刻した模刻がいろんなところにある。
岣嵝碑は禹碑とも呼ばれ、禹が治水をしたことを記念する功徳碑。ここの碑は明の嘉靖20(1541)年に県知事の張明道が湖南省の岳麓書院にあった拓本をもとに翻刻したもの。
山门。
どんどん進む。乾隆帝の石碑があったが、写真を撮らなかった。だって全国にたくさんあるしー。
主殿堂,该大殿系嘉靖二十一年(1542年)重建。大殿前檐悬挂一副门匾,上书“万古臣纲”四个大字。
扁額「萬古臣綱」は米南阳の字。看板でよく見る名前だ。1946年生,北京人。现任中国国际书画研究院研究员,中国人民书画院艺术委员会副主席。
井戸。
どんどん進むと八卦阵があり、中は迷路。
上から撮れないので、ネットから探して来た。
「出られるけど入られへん」(byさや香)の反対「入れるけど、出られへん」。だから入らなかった。そもそもさー、気温低かったのよー。雪はもうほぼ止んでいたけど。
易を学べる場所か。
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<残酷なので閲覧注意>
吐儿冢……相传周文王在羑里演易时,被殷纣王得知,为试其真伪,竟残忍地将其长子伯邑考杀害做成肉汤逼其吞食。周文王明知是亲生骨肉,却强忍悲痛将其咽下,尔后再到演易台后吐出。后人在此堆起一个土冢,取名吐儿冢。 怖いよ。中国の悠久な歴史。
羑里城は最後、土産屋を通って外に出るようになっている。でも買いたくなるようなものが売ってない。外は寒いし、車を待つ間、店の中で立っていた。そして安阳东站へ。車内から撮ったんだけど、こういう乗り物が計画されていた。私が見ただけでも駅が三つあった。工事止まって何年も経つんだって。ここまで建設して続けられないの?だからといって、壊すのもお金かかるしね。