東城区の另一個書屋弄堂SPACE店+同興和木器店 | みどりの果敢な北京生活

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6月4日。最高気温32度。最低気温18度。空気質量指数119。

日本の北海道旅行、東京探検などの記事がまだ書けていないが、昨日のことを先書こう。
 
昼は双井にある「纳鲜肴・广东顺德菜」へ。广东省顺德市の広東料理。この「顺德」と名のつくの店が北京ではここ数年激増したと思う。
 
三人なので、料理三つ。大众点评打卡すると、炭酸ジュースがもらえるのだが、打卡しなかった。一人40元くらい。

食後、皆さんと別れて、一人で東城区出入国管理局へ。受領のみなので、すぐ終わる。場所は地下鉄7号線「珠市口」あたり。スマホを見て、大众点评で保存している「行きたいところ」を探す。自転車で「泰安里」へ向かう。西へ。

 

钉子户みたいな教会。さらに西へ。

 

丰泽园の南を進む。

 

公衆トイレ(写真左)へ行く。その隣りの大きな木を望む。

 

バス通りから南下すると平屋の一帯。

 

どんどん南へ。

 

マントウ屋を西へ。

 

着いた!

 

入口。

 

カフェがあるので行く。一番手前、右の1階は靡靡咖啡

 

二階に上がると画廊がある。

 

 

 

 

 

同じ二階に小さな本屋「另一个书屋弄堂SPACE店」。

image

 

本がすべて女性をテーマにしたものだった。本屋はもっと奥もあったが、男性が一人横になって寝ていた。店員?店長だったりして?目を開けたので、部屋の奥は写真撮れなかった。

 

一階で美式咖啡

 

カップが大きいのよ。飲めない。紙コップに入れてもらい持ち帰る。自転車で東へ。中軸線。

 

どんどん東へ。位置としては天壇公園の北。次の目的地は同兴和木器店旧址。きれいにして、8月28日に参観できるようオープンしたばかり。

 
ネットで「修缮前」(これ中国語)を見つけた。

 

清嘉庆年间,随着清宫中器用逐渐饱和,工作多以修补为主。伴随清国力衰败,原有内部各作工匠开始逐渐出宫,部分匠人留京另谋生计。当时,其中不少木作能工巧匠流落聚集至晓市大街鲁班馆一带开办木器作坊。在此背景下,道光十五年(1835年)同兴和木器店在此地创业,开始只生产硬木马鞍。光绪六年(1880年),清政府组织重修公输祠(鲁班庙),因“工程艰巨,需用浩繁”,与“同兴和”及附近大小35家木器作坊合力立碑重修公输祠,以承仙师精技。

 

清の嘉慶年間、器の製造が減り、修理ばかりとなった。清の国力も落ち、宮中の職人も仕事が減ったので出て行き、その多くが「魯班館」一帯で工房を設立。 道光15年 (1835年) に同興和木器店が開業し、堅木の鞍だけを生産し始めた。光緒6年 (1880年)、清政府は「魯班廟」を組織し、「同興和」と付近の 35 の木工工房と協力し、「公輸祠」(公輸魯班)を設立した。

 

魯班は古代中国の著名な工匠。姓は公輸。春秋時代魯国の人で,奇巧の器具を制作して名高かった。

 

中に入って正面。

 

奥に進んで、入口を望む。

 

二階に上がる。一角で刺繍についての講座をやっていた。

 

上から下を望む。

 

展示。

 
帰る。
 

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