山海関旅行3:車がなくて1時間半歩く覚悟 | みどりの果敢な北京生活

みどりの果敢な北京生活

6月15日。最高気温32度。最低気温21度。空気質量指数152。

一昨々日より続く。

この日の宿泊地から観光地「孟姜女庙」へ行くときは、住宅街から乗ったので、滴滴(配車サービス)を呼んだら、3分で来た。乗った時間は8分。7キロ、15元。初乗りが7元。地方は安いよね。北京の初乗りは12元。帰りも滴滴を呼ぶ。全然来ない。15分待っても来ない。

 

バスに乗ろうと思って、高德地图で検索。「孟姜女庙」の出口からバス停に向かうまで、白タクの人が一人だけいて、しつこい。こんな辺鄙なところで売られたら困る。私はいいけど(いいのか?)、娘は将来ある身だから。白タクが「バスはないよ」。その理由が「闹别扭」。いやいや、それはないだろう。

 

本日の中国語学習:闹别扭

悶着を起こす。互いに不満を抱く。へそを曲げる。意地悪する。困らせる。仲が悪くなる。衝突する。仲違いする。気まずくなる。

 

バス運行停止の理由として、もう少しほかの言い方はないのか。とにかく地理もわからない土地で白タクに乗りたくない。無視。その人は諦めていなくなった。

 

バス停があるべきところへ行くも、バス停がない。高德地图で見ると、1時間に1本か2本は出ている。北京の場合、更新はちゃんとしているから、運休になった場合はすぐ反映される。

 

地元の人に聞こう。近所を歩いている風のオバちゃんに「バスはありますか?」と聞くと「ないよ」って。ええええ!

 

娘が「歩いて行こう。1時間以上かかるけど」。いやいや、また滴滴を呼ぶ。待つ。全然来ない。ずっと停まっていた車のオジちゃんが「どこへ行くの?バスはないよ。乗って行く?」と言う。さっきの白タクよりはマシそう。素朴なオジちゃん。娘が「ダメ。絶対乗らない」。

 

でも1時間以上歩く?そのオジちゃんが「ここは車ないよ。2キロ先ならたぶんあるよ」。親切だと思う。

 

 

歩き始める。歩いている人はゼロ。車は少なく、まれにバイクが通る。いくらなんでも少し歩いたら、車は呼べると信じて進むと、さっきの親切そうなオジちゃんが車でやってくる。「私は家に帰るところだから、乗せてあげる。お金は要らないよ」。私、心、動く。だって1時間半も歩きたくない。娘が「ダメ。絶対にダメ」。そうだよね。歩いて疲れるのと臓器売られるのと(飛躍しすぎ?)、どっちかいいかって話だ。

 

丁重に断る。歩く。ひたすら歩く。やがて大きな交差点に出る。といってものどかな景色は変わらない。滴滴を呼ぶ。10分で来る。溢れる涙を禁じ得ない。

 

帰りは8.91元。初めに何回呼んでも配車できなかったことのお詫びとして2元安くなっていた。

 

到着。ちょうど車から降りたところで、ばあさん1から電話が来る。

 

私:我刚下车了(車を降りたばかりなんです)

ばあさん1:ああ、そう。ゆっくりして来なさい

私:いやいや、もう見終わって、帰って来たんです

ばあさん1:え?早いね

 

早くないわい!何時間経ってると思ってんの?車待ってるとき、一日千秋だったよ。部屋に入ると、ばあさん1しかいない。みな出かけているという。ここで聞いてみる。

 

私:あのおじいさんは誰ですか?

ばあさん1:和你三姨一个单位的

 

つまり、ばあさん3の同僚。おじいさんの娘も同僚。おじいさんは奥さんに先立たれて、同じ棟に家のある娘が世話をしていたが、しばらく用があり、その間ばあさん3が、家族でもないのにそのおじいさんの面倒を見ていた。昨日、娘が帰って来たので、役目は終わったところだった。

 

ということは赤の他人の家に、私と娘が泊まらせてもらう。それって日本だとないよね。寝室は二つしかないんだよ。ここにおじいさん、ばあさん1、ばあさん3、私、娘が泊まる。ま、いっか。

 

さあ、次の問題を出そう。

翌日、「天下第一関」という観光地に行くことになった。ばあさん'sは高齢だし、行ったことあるし、「行かなくていいです」と私は言ったのだが、ばあさん1は「せっかく孫も来て一緒に写真を撮りたい」と可愛いことを言う。ただ、ばあさん3は行かないという。その理由はなんでしょうか?

 

 

 

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