【博物館通票2022】孔廟和国子監博物館①孔子廟の柏の木と乾隆石経など | みどりの果敢な北京生活(Ameba版)

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地下鉄5号線「北新桥」駅で降りて、北上。

 

 

方家胡同に入る。

 

方家胡同小学を経由。平屋一帯にある小学校いいなあ。

 

私の目的は「门联」で、64号にあるはずなので行ったのだが、なくなっていた。方家胡同はと言えば46号に飲食店がいくつかある。向かいは猫カフェ。

 

北上。つきあたりに「」。

 

どんどん北上。

 

着いた!孔庙。30元。博物馆通票で無料。

 

中の詳細は2021年の記事へ。

2年前に書かなかったことを今日は書く。

 

触奸柏

触奸柏位于北京孔庙大成殿的月台右前方,据说其为元代国子监祭酒(相当于校长)许衡所植,已700多年,仍枝繁叶茂,苍劲挺拔。

相传明代奸相严嵩曾代嘉靖皇帝祭孔,他平时专横跋扈、欺压百姓、残害忠良、作恶多端。当他路经该树下,狂风骤起,柏树枝摇动,吹掉他的乌纱帽,使其仓皇逃走。后人认为柏树有知,能辨忠奸,称此树为“触奸柏”或“辨奸柏”。

 

触奸柏は700年前、元代に国子監の祭酒(校長)を務めた許衡(1209-1281)が植えた。

明代の奸臣(悪心をいだく家臣。奸悪な家来)だった嚴嵩(1480-1567)が、この柏の横を通った時、強風で枝が揺れ、嚴嵩の烏帽子が吹き飛ばされた。この柏は忠奸(忠義と奸邪。忠臣と奸臣)を見分けられると伝えられている。

 

正面の大成殿

 

楽器がいろいろあった。

 
楽器の紹介は知らない中国人の記事へ丸投げ→在孔庙看古代祭祀礼乐器

 

西へ進む。

 

乾隆石经を経由。

 

北から入って南から出たが、出口の手前にこれがある。

 

 

蒋衡という人について書いてあるのだが、乾隆石经、計63万字をこの人一人で三年かけて書いたのを石碑にしたのがこの部屋に並んでいるというわけだ。手が疲れるーーー!

 

国子监中央の「辟雍」。

 

辟雍是太庙国子监的中心建筑,是天子的学堂。辟雍建于清乾隆四十九年(1784年),是中国现存唯一的古代“学堂”。辟雍古制曰“天子之学”。从清康熙帝开始,皇帝一经即位,必须在此讲学一次。

 

辟雍は国子監の中心建築であり、天子の学堂である。清の乾隆四十九年(1784年)に建てられた、中国に現存する唯一の古代“学堂”である。古い制度で“天子之学”があり、清の康熙帝以降は皇帝が即位したら、必ずここで講義を一回しなければならないという決まりがあった。

 

黄色い椅子=皇帝の椅子。

 

前日雪が降ったので、殿を囲む池は白かった。

 

乾隆帝の書いた字の石碑。清の皇帝は満州族なので、正面は满文(満州文字)。 

 

上部を拡大。

 

後ろは漢字。

 
写真を撮らなかったが、もう一本有名な木がある。
 
在彝伦堂前灵台西侧,“博士厅”门前,有一株由上覆黄色琉璃瓦的矮墙围绕的双干古槐,史称彝伦堂古槐,是京城最知名的古树之一。相传古槐为曾两任国子监祭酒的许衡亲手所植。清乾隆十六年,时逢乾隆母亲慈宁太后六十寿辰,本已枯死的古槐忽发嫩枝新绿,枯而复荣,又称“复苏槐”。
 
彜倫堂の西側、「博士庁」の前にある復蘇槐も国子監の祭酒である許衡が植えた。清の乾隆十六年、乾隆帝の母が還暦のとき、もともとは枯れていた古木が枝をつけて新緑になったことから、「復蘇槐」と呼ばれる。
 

孔子廟を日本語でいま検索したら、やたら詳しい人を見つけた。宮廷ドラマもよく見ている。私、憎悪劇は見ない!

 
<数日後に続く>
 
 

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