武則天の創ったと言われる則天文字と残虐人生 | みどりの果敢な北京生活

婦女児童博物館へ行ったことは8月に書いた。

家に帰ってブログに記事にするときに、いろいろ調べて知ることが多く、そのとき書かなかったけど、今日は詳しく紹介したい。

 

日本では「則天武后」と言うが、中国では「武则天」と姓を冠して呼ぶ。

 

中国史上唯一の女帝。唐の高宗の皇后となり、後に唐に代わり武周朝を建てた。

武則天は漢字の改変も行い、則天文字と呼ばれる新しい漢字を創っている。その数は20字程度であり、今日使用されることはほとんどないが、「圀」の字は日本で徳川光圀と本圀寺に使用されている。この改変は「國」がくにがまえの中に「惑」を含むことを武則天が忌み嫌ったもので、その代替としてくにがまえの中に「八方」を加えたものである。他にも、自らの名の「照」の代替として、空の上に日と月を並べた「曌」(明+空)を造字しており、いずれも思想的な理由に基づくものだった。<Wikipediaより>

もっと詳しくはWikipedia「則天文字」の項へ。

 

これが婦女児童博物館の展示。武則天ご本人と、創ったという(ことになっているが、甥に命じて創らせたと史書にある)則天文字。

 

本物は一級品で、河南博物院が収蔵。これは複製品。中国では「武则天金简」という。金简[jīn jiǎn]金质的简册,常指道教仙简或帝王诏书

 

中国語で詳細。

武则天金简:河南博物院镇馆之宝、现存唯一属于武则天的文物

 

日本語での説明はここ。則天武后除罪簡(考古用語字典)

「我が身の罪を祓うため」と書いてある。武則天は自分がのし上がるために自分が産んだ娘をも殺害したことがあるほど残忍。それを晩年後悔し、お祓いをしたときの文物。

 

武则天金简惊现于世,揭开了一代女皇,不为人知的秘密!

中国語できる人どうぞ。動画4分。西暦700年(77歳のとき)重病になった。これまで殺して来た人が、毎日夢に出て来て、精神状態が不安定になる。道士が山へお祓いに行った方がいいと勧めた。

 

釈文:上言:‘大周國主武曌好樂真道,長生神仙,謹詣中嶽嵩高山門,投金簡一通,乞三官九府除武曌罪名。’太歲庚子七月甲申朔七日甲寅,小使臣胡超稽首再拜謹奏

 

現代中国語:武则天感觉自己罪孽深重,嘱托道士胡超在七月初七这一天,代替自己到嵩山之巅,投下一枚金简,以乞求各路神仙能够免去自己一生的罪恶。

 

日本語:許してください。←おいおい

 

書道から離れて歴史を調べていったらキリがない。続く。

 

 

 

 

おまけ:全然関係ないけど、展覧会の紹介。

 

时隔三年《女史箴图》真迹再次展出!

东晋的顾恺之,被誉为“中国画祖”,他的代表作除了这幅《女史箴图》,还有一幅也被我们熟知,就是《洛神赋图》。

 

女史箴图」という国宝級の絵画が見られる??と思ったら、エゲレスだった!「女史箴图」は东晋((317年~420年)の絵画。宋(960年-1279年)の摹本が北京の故宮博物院にある。そりゃオリジナルの方がいいわな。そして、ナント 「洛神赋图」も!!ロンドンにいる人は是非!って、、、ここの読者にいないと思うけど。

 

Admonitions of the Instructress to the Court Ladies

British Museum

Exhibition / 3 Oct 2022 - 13 Nov 2022

 

 

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