世界遺産、頤和園へ久しぶりに1(簡単に述べる編) | 北京に戻ったみどりの果敢な北京生活

地下鉄4号線「北宫门」駅で降りて、颐和园北宫门へ。チケットは事前に買ってあった。購入した記録であるQRコードと健康コードをスキャンして入る。

 

 

入ったらいきなり「英仏連合軍にやられて130周年」という1990年の石碑。

 

まずは苏州街。乾隆时仿江南水乡的风貌而建,是专供清代帝后逛市游览的的一条水街。湖岸边的数十处店铺1860年被列强焚毁。1986年重建。是中国古代“宫市”的唯一孤本。

蘇州を真似て造られた蘇州街。以前はお店が開いていたが、今は閉まったまま。下りて川沿いを歩けるが、入場料は10元。
 

しばらく森林を歩く感じ。「一級防火地域なので、火気厳禁」という日本語あり。

 

宿云瞻城关,頤和園には六つ城关がある。城关は要塞の門。

 

颐和园的前后山和东西两侧,共有六座城关,有装点和防护的双重作用。 东门的文昌阁城关。西边的宿云瞻城关。通往后湖的紫气东来和寅辉城关。前山的千峰彩翠城关,苏州河北岸的通云城关。

 

日本語も書いてあった。「(宿雲瞻城関は)清の乾隆時期に建設が開始され、別名は貝闕。城の上に元々楼閣があって、中に関羽の銀の塑像が奉納された。1860年に英仏連合軍に奪われ、光緒時期に亭に立て直し、中に関羽の位牌を奉納する」。俗称、関帝廟。
 
颐和园消防站がある。消防車、ニッサン。

 

100%石でできた船、石舫清晏舫とも言う。

 

お手入れが怠われている竹。北京で竹を育てるの大変なのよ。冬は寒すぎるし。

 

中は食事処なのだが、刺繍の展覧会とも書いてあるので入ってみた。

 

これ落ちそうだったよ。

 

ここは展覧会場ではなく、お店だった。刺繍が売っていた。ほとんど絵だったが、王羲之、蘭亭序もあった。

 

この日の目的地「聴鹂馆饭荘」へ。営業時間、11時から14時半。夜なし(頤和園自体は20時まで開いている)。

 
店名「聴鹂馆饭荘」の「」は黄莺とも言い、高麗鶯 (コウライウグイス)のこと。それを聴く館。
 
事前に電話したんだが、予約は受けつけていない。いま、こういう店は多い。予約だけして実際は行かない人がいるんだろう。
 
福、康熙帝の有名な字。恭王府にある福が有名。寿は西太后の字。

 

両方、西太后の字。

 
建物に入ると、西太后のでかい字がボーン。複製品。

 

結構空いていて、窓側に座った。窓側は昆明湖側なのだが、木が高くて「水が望めて気持ちいい景色」ではなかった。

 

料理はコースのみ。138元以上で、何種類もある。138元と168元との違いについて、服务员曰;“138没有特色,168有特色”。私は大众点评で見て知っていた。この30元の違いは甘いものが付くかどうか。メニューを見たら、本当にそうだったので、138元にした。一人でも注文できるけど、人数によって料理が違うようだ。

 
香酥鹌鹑(ウズラ)、四宝鸡丁、小米辽参(粟、ナマコ)、草菇菜心、灯笼豆腐、糖醋玉米鱼。写真に入れなかったが、小さい花卷一人一個。「菜齐了」と服务员は言ったが、最後に出てきた酸辣乌鱼蛋汤
 
 

女子五人、これでも少し余るくらいだったけど、最初出てきたときは「え?一皿五人分?少ないのでは?」と思った。大食い中国人だと足りないかもしれない。

 

食後、敷地内の舞台へ。西太后が京劇を見たという。食事をせず見学のみはできない。

 

舞台の天井はなかったが、のちに追加したという。

 

西太后の字。

 

観光客用のホールは二つあったが、そのほかに貸切でも利用できる個室がある。カーテンが開いたので写真を撮った。

 
私が撮った後すぐに、中にいた服务员がすぐにカーテンを閉めて、見られないようにした。意地悪だな。

 

別の個室。溥儀の弟、溥傑の字。

 

また別の個室。爱新觉罗・毓峘(画家)の字。

 

横から見たの図。

 

 

レストランを出たの図。昆明湖ちょっとしか見られないでしょ。上は空だからね。

 
长廊东起邀月门,西至石丈亭,中间穿过排云门,象征春夏秋冬四季。全长728米,共273间,有548根柱子。廊间的每根枋梁上都绘有彩画,共14000余幅,彩画的内容多为山水、花鸟图以及中国古典四大名著的情节。
 
14000枚もの絵が描かれた散歩道「長廊」。全長728m。

 

 

ずっとまっすぐなわけではない。

 

長廊は湖岸に沿っているので、ずっとこんな景色。

 

やがて反対側に「仏香閣」。10元。

 

入らなかった。横からじゃないとよく見えない。

 

どんどん東へ。

 

乐寿堂。颐和园居住生活区中的主建筑。慈禧的寝宫,原为乾隆十五年(公元1750年)时本是乾隆的母亲孝圣宪皇后要过六十岁生日,乾隆为了给母亲庆祝六十大寿,在乾隆十四年的时候就把原来的瓮山和西湖加以改造。

乾隆帝が母親の還暦祝いをした場所。後の西太后の寝室。

 
水木自亲殿。
 
水木自亲殿前的探海灯杆。西太后が起きているときはランプが点いて、寝たら消していた。

 

白い壁を見て、苏州博物馆を思い出した。

 

龙凤树

 

宜芸馆

 
 
乾隆帝が古典を臨書した字が石碑になっている。
 
赵孟頫

 

颜真卿

 

ガイドさんが「天子监狱だから壁になっている」と説明。

 
玉澜堂,光绪帝的寝宫。光绪二十四年(1898年)戊戌变法失败后,慈禧曾幽禁光绪于此
 
光緒帝が幽閉されていたところ。ガラスが反射しているけど、見えるかな。

 

 

レンガで壁を作った。

 

出口に向かう。

 

仁寿殿。慈禧和光绪住园期间临朝理政,接受恭贺和接见外国使节的地方,是颐和园听政区的主要建筑。

 
政務を執り、外国の使節を招待した場所。

 

麒麟。龙头、狮尾、鹿角、牛蹄,全身饰鳞片,头部铸有“大清乾隆年制”文字,通高2米,通长1.95米。下承汉白玉石须弥座,饰莲瓣卷草纹。

 

东宫门から出た。"颐和园"匾额是谁题写的? 頤和園の扁額は誰が書いたのかは議論になっている。

 

颐和园官网

 

 

<詳しい内容にいつか続く>

 

 

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