どんな最期を迎えたいか考えた時、自分のものではない、常識、思い込み・期待を流したら出た答え | Spirit's journey

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閃きに従い、無意識のブレーキを自然に克服し、現実想像のスキルを磨くブログ

人は誰でも、死亡率100%

 

どんな最期を迎えたいか、

考えているが、

なかなか実感湧かずにいたが、

 

「玉置妙憂」さんの生きる力を育むスピリチュアルケア

 

沖縄大学で開催された講和を聞いて、

 

どんな最期を迎えたいか、わかってきた。

 

というか、

答えのない最期をどう迎えたいか、

そんな事を考えて、

想い通りになんて、いかないのだから、

無駄なのよ。

 

けれども、

 

在宅ケアというものは、

 

末期の苦しみ

 

しに行く人は、生きている人のエネルギーがキツイ

 

生きる可能性のある人は、写真集見て、綺麗と思えるが、

可能性がない者にとっては、いらないもの

 

テレビも、食べるものばかり

本も、生きる人用の本しかない。

死に向かう人用のものは、何もない。

 

 

これらの絶望に寄り添ってくれるものなのだと

わかったことが収穫。

 

そして、祈りが、

唯一

末期の人と同じ方向に向けるツールである。

在宅ケアを長年してきた人、

玉置妙憂さんと

共通認識だった。

 

祈り

 

目に見えない世界

死後の世界へ行く恐怖

 

それは、死んだらこの世の大事な人たちと会えなくなる

という恐れ。

 

そうじゃないんだと、

わかれば、少しは癒える。

 

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今日、 古い写真を見ていて、

 

子供を授けてくれた夫のおかげで、

 

いろんな、苦しみ、悲しみ、つらさを

味わうことができた。

 

一人では、到底経験できないことを、

たくさん経験できたんだな、

ありがたいと、

心の底から思うことができた。

 

そして、子供を授けてくれてありがとう。と、

子供の前で、夫に伝えた。

 

これ、15年前に、

苦しくって、ロクデナシ!って思いを

無理やり感謝したやつじゃん。

 

15年後に、その時の感謝が現実になった。

 

その当時、

私の母は、私のために、

毎日祈ってくれていた。

 

私も、子供のために、家族のために、

祈りたい。

 

世界平和を毎日祈っている

団体もある。

 

久高島でも、

世界平和は毎日祈られている。

 

そんな祈りの日常を過ごして、

この世を全うしたい。