Spirit's journey

Spirit's journey

閃きに従い、無意識のブレーキを自然に克服し、現実想像のスキルを磨くブログ

 

エナジーチェック(まりこ先生、かなささん)

何も、帯状疱疹のことも何も話さなくても、

「足かせ」と言われたとき、
それが何を意味するのか、

 

うすうす感じていた。
けれど、まさかね、と反射的に否定したくなる。
それは理屈ではなく、第六感のような感覚。

 

夫が遠く離れた国へ単身赴任で旅立ち、

私は子どもたちと、

行きたかった久高島へ向かった。


普段は夫の好みに合わせて抑えていたこと

——それらを一つずつ解放していこうと

最初の行動だった。

 

「あれもやりたい」「これも」と心が緩むのを感じた。
しかし、ふとした会話から、

夫の不在で私が勝手に動いて、

浪費する不安”みたいなものを感じて、

私は、一生懸命、そうじゃないのよ!と

キレ気味で説明してた。

 

まりこ先生曰く、「コントロールのエネルギーです」

かなささん、「空飛ぶ亀に乗ったら、弱いから、亀の甲羅と足の接地面から、不衛生なもが上がってきて、負けてる」

 

はいはい、ズビズバ、

もう、おっしゃる通りです。

 

私はこれまで、
夫に従い、娘に合わせ、先生に従い、親に従い
“自分の希望”より“家族の平穏”を優先して生きてきた。

だからきっと、「あなたの自由が困る」といった無意識の圧に対して、

反射的に服従してしまう癖が、私の中にある。


もしかするとそれが、「動けなくなる」というかたちで体に表れたのかもしれない。

もちろん、証拠はどこにもない。
 

ただ、自分が他者を優先してしまうエネルギーの傾向、

 

どこかで、帳尻合わせて、対面的には自分勝手な私。


自分を羽ばたかせたいと願いながらも、

無意識に

自らに錘をつけてしまう——その構造?

 

私は、帯状疱疹3回なったよ。

エナジーワークしだしてから、もうなくなったよ。と

ヒーリングしてもらった他の方。

 

少し前の、愛のスペースを感じるワーク。

私は長い間、自分自身をどこかで諦めて、小さく、小さくまとめて生きてきた、と。

ようやく「もっと大きく生きてもいい」と、自分の中で(少なくとも頭では)許可を出したばかりだった。
そんな矢先の、帯状疱疹。足はゾウのように腫れた。

 

その前段には、高熱で寝たきりになった2日間。

3日目にガバッと起きて、テニスの試合に出た。

その帰り道に、足が赤くタダレ始めた。


4年前の帯状疱疹では。
神社の裏で、娘と怒鳴り合いをしたあの日。
まるで祟りのように、体に現れたものだと思っていた。

 

でも、今回の2回目の帯状疱疹で

はっきりわかった事。

あのときも、歩けないのに歩かなければならなかった。
本当は、全部ボイコットして良かったのに。


「家族のために動かねば」と思い込み、

無理をして、精神的に追い詰められていた。

今回も同じパターンだった。

今回はクリアー軽めだったけど、1日無理して、

あとは2週間寝続けた。(←これ前回の教訓生かしたところ)

 

今回は

確かに症状は重かったが
夫がいなかったので、

誰のためでもなく、自分のために「休んでいていい」と思えた。
ありがたさと、ほっとする感覚で、寝続けた。

 

フェスに誘われたのは、その数日後。
「あと1週間ある。
それまでに歩けるようになろう」
そう決めた。

 

なんとか歩けるようになり、恐る恐る1日だけ家を空けた。
夏休みでだらだらしていた子どもと、ほんの少し距離を置いた。

帰宅すると、子どもは宿題をし、食べた食器を綺麗に洗っていた。
おっ❤️

 

フェスに誘ってくれた友人は、不思議な人。
会うと、私だけじゃない。家族までもが整っていく。
エナジーワークの大先輩

──ソウイウヒトニ、ワタシハナリタイ。

 

 

 

 

 

 

 

新月瞑想会のあと、大事なことが降りて、
心に大きな波紋が広がったはずだったのに、
私はそのまま、違う思考に飲み込まれてしまった。

 

でも、もう一度静かに内側に耳をすませたとき、
私の中にひとつの“願い”が、輪郭をもって浮かんできた。

 

あの人って、そんなことで豊かになったの?しかもその年齢で?家まで建てちゃって?
 そんな風に言われるような、ありえない奇跡で豊かになりたい」

 

待てよ、なんで、そんな事思うのかな?

 


私の中にあった“お金=家庭崩壊”の刷り込み

私は思い出した。
昔、家庭がうまくいっていなかった時、祖母に言われたこと。

「経済的に恵まれてることに、感謝しなさい」

でも私は、あの頃感じていたことを、心の底で今も握りしめていた。
**「金なんて糞食らえだ!」**って。

そう、
豊かさ=孤独/家庭崩壊/愛のなさ
そんなイメージが私の潜在意識に強く根付いていたんだ。


私が本当に望む 豊かさ

私の願いは、
なりふり構わず稼いで、消耗して手に入れる“外側だけの豊かさ”ではなくて――

家族みんなが調和していて
私のスペースも整っていて
お気に入りの庭がある
平穏で、愛にあふれた暮らし

つまり、
“私らしさ”と“安心”が調和した豊かさ」を、私は望んでいたんだ。


そんな今日の気付きから生まれた🌱【お金持ちワーク】

「逆説的リッチワーク:ありえないことで豊かになる準備をする」

  1. 「そんなことで?」と思われたいことを、まず書き出す。
     →例:「毎朝、植物に話しかけてたら、庭園設計の依頼が来た」
     →例:「毎日ぼーっとしてただけなのに、Ottoが稼ぐようになった(これすでに起こってるかも
  2. →例:毎日、アイデアおろしてたら、商品化それが当たった。
  3. →例:汚い部屋の様子を公開、整えている様子も公開したら、豊かになった。
  4.  
  5. 「経済的に豊か=不幸」の情景をバラ爆破
     →思考でいくらこねくり回してもむり、エネルギーで見てワークするしかなし。
  6. 未来の私に手紙を書く
     →今の願いがすべて叶った未来の私に、「どうやって叶ったの?」と聞いてみる。
      速攻の答えは、好きなことのつみかさねだよ
  7. 日常の中に、“豊かさの演出”をひとつ加える
     →例えば「お気に入りの服だけ着る」「お茶は素敵なカップで飲む」など。
     →“お金”ではなく“質感”に豊かさを求める。

豊かさは“奇跡”ではなく、“調和”だった

「そんなことで家建てたの?」
そんな言葉を言われるような未来は、
私の常識から見たら“奇跡”かもしれない。

でも、父は誰もが唖然とする道のりで

家を数軒建てた。

そいで、最後はあんな2LDKマンションって、

ほんと奇想天外だわ。でも、単身者なら十分か。

その5倍の広さに、母は整然と一人暮らし(父が建てた、庭もいれるともっとだわ)

そんな奇妙奇天烈を見てきたせいか、

私にも奇跡は起こるかもと、信じて疑わない。

,でも、本当に欲しいのは奇跡より調和。


 

自分の愛のスペースはどこにあるか、目を瞑って感じる。

 

愛とは、自分へのジャッジがセットになりやすいと言われるけれど。

それが無意識なので気づきにくい。

 

もしかしたら昔から愛を感じないで生きてきたかもしれない。

愛を感じると怖いと思ってたかも。

 

それは親のせいでも、世間のせいでもなく、自分がそうしてきたんだと、

目覚め始めている。

 

 

 

ワークの序盤に、「涙が止まらない、気づきも何も見えない!」の私の訴えに、

メリナさんは、右腕ミズ先生をよこしてくれて、

くっついているジャッジ禁止です!とお見通しだった。

 

過去世で命がけの愛の経験、守れなかった愛、

たくさんの傷があるらしい。

 

なぜか納得がいく、

 

 

思春期。
怒鳴るか、泣くか。
父の愛を取り戻す手段は、それしかなかった。

でも、本当は——
ただ、愛されたかっただけだ。

愛と憎しみは背中合わせ。
父への愛をあきらめた瞬間、
私は“愛”というもの自体を、封印してしまった。

 

 

ワーク中では、あれもこれも愛だったのに、

気づかずに

すべて通り過ぎてきた

もったいねー

という、自分へのジャッジ

涙があふれた。

 

 

自分へのジャッジを

セパレートして、爆破するしかないのだけど、

自分と一体化しすぎて

どうやって良いかわからない、

その“気づき”に行きつく道すら見えない。

 

 

「愛されるには条件がある」

そんな思い込みもある

だから、無条件の愛に触れようとすると、

拒否反応が出る。

 

最初は気づくだけで良いって、

難易度高くね。

 

でも、そろそろ終わりにしたい。
傷ついたふりをして、愛を遠ざけるのは、もうやめたい。

「愛の回路」を、自分で開く。
感じる練習を、ここから始める。