本当のところ
正しい気持ちですごしていこうと
いつも心がけてる。
けど、うまくいかないときとか、
逃げてることも
気づけばあるんだ。
距離感って存在してて、
ある人とは、こう、
ある人とは、こう、って
いつの間にか
人によって変わってしまっている。
態度とかじゃない。
僕の気持ちだ。
誰にも嘘はつかずにやっていけてるけどさ、
ちょっとごまかしてる自分はいるんだ。
けどそれは間違いじゃなくて
うまく社会とやっていく方法でもある。
けどたまに納得がいかないんだ。
「いつもいつも、
ちゃんと自分を表現できているかな」
って思う。
思ってた。
そんなモヤモヤの中で見つけた。
「本音」と「本心」の違いだ。
僕はいつも誰でも本当の気持ちで接していたい。
だから
本音でいつでも話ができるようにしたい。
けど本心は語る事でもない。
誰にでも話せるものでもない。
本当の自分の根っこの根っこにある心は、
本当はそこまで言葉にはできない。
自分自身もまだ知り尽くしてない。
だから、
僕は、
本心は話せなかったとしても、
本音の中に散りばめればいいと気づいた。
言葉だけじゃなく、
行動に、
仕事に、
自分を表現できるすべてに。
本心はすべての人に伝えるものでなく、
気づいてもらえる人に
気づいてもらえれば良いんだ。
偽らず過ごしてく。
簡単にわかってもらえるものでもないし、
簡単にわかっちゃったら、
面白味がないだろう。
この気持ちは
強がりでもないし、
逃げでもなかった。
どんな歌でも
物語でも
表情でも
抑揚がある方が
好きだから、
だったら、
自分の抑揚を
楽しめるようにしたいな。
浅くシンプルでわかりやすく、楽しい自分。
その裏で
深く思いを馳せるような、
奥行きがあり、やわらかい自分。
その自分を
一生懸命伝えようとする手段、
小出しにする手段、
なんだっていい。
自分だけの世界を、理想を
現実のものとする手段は、
たくさんある。
きっと色々あるや。
好きになれない子供たち
自分の事を好きだと思えない子供達が
増えているという。
今に始まった事じゃないし、
自分の事を好きだと思えない大人たちのほうが
多いかもしれない。
ただ、子供達はせめて、
好きでいてほしいものだ。
コンプレックスとか一旦感じてしまったら
中々外には出せなかったり、
一番仲のいい友達でも
言えないこととか多いかもしれない。
自分は割と
子供の頃は
好きだったような気がする。
何でもできたようなそんな気がした。
というより、
自分が好きとか嫌いとか
考えなかった。
できないことは
勉強すりゃいいし、
練習すりゃいいし、
これから伸ばしていけれるし、
これからという観点でおけば
最高のタイミングなのが
子供なんだと思う。
そのくせ、
大人になってしまうと、
そんな好きではなくなってきてる
自分がいてて、
何なんだろう。
仕事が楽しいって言える人あんまいない。
けど、
子供の頃も
勉強が楽しいかって言われたら
そんなでもなかった。
だから
どうやったら楽しくなるかって
考えてたものだ。
なぜ今になって
それができなくなっているんだろう。
楽しくなかったら仕事を変える?
それって
楽しくないから転校するとかってのと
同じだと思うと、
ちょっと安易だなって感じた。
どうやったら毎日楽しくなるだろう。
ワクワクするだろう。
面白くなるだろう。
そういうイメージをいつも持っていきたい。
それで
明日、明後日、
試していけばいいっか。
そういう毎日過ごしていけば
形になるんだ。
けど好きってのは
難しいよな。
たぶん言えるのは
漠然と好きって言えないけども、
昨日より好きだよって
言えるように
明日を過ごしてみなきゃ、
その積み重ねしなきゃ、
思えてこないもんなんだろうな。
怖いこと
自分を見失う事。
何もかも手につかなくなって
何もかも灰色で
明日なんて楽しみじゃなくて
昨日なんて今日みたいなもので
今日なんて昨日みたいなもので
そんな過去を持ったことで
それから先も
不安になるんだ。
またこんな事が起こるんじゃないかって
自分が弱ってしまっているとき
思ったりもするんだ。
一番怖いことだから
もう負けないようにするんだけど、
果たして
強くなっていれるのかなと
自問自答してしまっている。
自分がされたら
嬉しい事は
誰かにしてあげたい。
だから
誰のどんな過去も
きっと
飲み込める。
優しく触れてあげよう。
今のあなたを形成してきたもの。
心の奥に眠るもの。
恐れを抱いてるままのもので、
怖いからって目をつむってしまっているもの。
今ではこう思う。
怖いことを
知っているからこその思いが
そこにはあるということ。