B型攻略がわかる!劇団B型の頭の中 -2ページ目

ほし

いつでも探してたっけ。

思い出振り返るつもりもないのに、
気付けば振り返ってばっかり。


今を生きようと思うのに
その今なのに
すごく映像がこびりついてて、
似たような人を見るだけで
ドキドキした。


もういるはずのない場所。
もういるはずのない時間。
なのに探してしまう。


どこでも、何をしていても、
生活に染み込んでいた。



あれから
時間が経って
僕は大人になったけど、
大人になってない人がいる。



ずっと時間は止まったままで、
気付けば
すごく時間は経過してた。


とらわれていた時間は
自分の中で
消化されていってるのに、
過去はやっぱ変えられなくて、
その過去を生きた僕自身もまた
変えられなかったんだなぁ。


人は変わることができるって言う。
けどそんな簡単には変われなくて、
変われるならば、
容姿とか、服装の趣味とか、誰かに対しての積極性とか。
それは変わったんじゃなくって
気付いたものであって
前の自分はやっぱ元の自分。
悩んで不安になって
誰かに教えられて
ハッとする瞬間があっても
行き着くところは
同じ。


けど悲観はしてなくって、
今更ながらそういうのも
自分らしいって
後になってそう思える。





最初は
寂しさは誰かに頼るもんじゃないって思ってた。
一人の時間が怖かったけど、
一人の時間と対峙できない自分に腹がたった。


対峙してくうちに
自分の弱さや
不甲斐無さや
冷たさや
甘えが見えた。


見たくなかったけど、
認めたくなかったけど、
自分の気持ちがわからないことを
認めるほうが怖かった。

自分の気持ちがわからないから
あいつの気持ちすら
わからねぇんだって
思ってた。


自分がしっかりしてないと
誰かを支えてやれないって
意気込んでた。

あいつが本当の胸の気持ちを
明かせないまま終わってしまったのは
俺が未熟だからって
思ってた。

悔しかった。


もう届かない人を追った。
だから今生きてる人に
何かを伝えられる人間になろう。
真に心に訴えられる人間になろうって

思ってたんだ。



そこは年齢は関係なくって、
性別なんて関係なくって、
寂しい夜があるなら
そいつを寂しくさせなければいい。
辛い夜があるなら
泣いて眠りにつけばいい。
楽しいことがあるなら
それを貫けばいい。
嬉しい思いがあるなら
誰かに与えてやればいい。
ドキドキするなら
身を委ねてみればいい。

それはみんな一緒。
一緒だから
気付いてくれればいい。



そんなシンプルな世界なのに
難しく考えてしまう。
人様に迷惑をかけないようにと
両親から教え込まれたこの体は
萎縮してしまう。
こんなことを言ったら
嫌われてしまうかもしれないという危惧に
さいなまれてしまう。



なんでも受け止めて良いんだ。
そのままでいていいんだ。
それは愛する人だけしかできないことじゃない。
周りにいる人たちが
密接に関わって築いてきた自分自身、
そんな人たちに礼をしてもいいんじゃねぇかって
思える。



水のように柔らかい強さ。
ずっと憧れ。

けどその世界で
いつもニコニコしてるおじいちゃんおばあちゃんに
容量で負けたくないし、
いつもはしゃいでいる子供たちに
成長力や無邪気さで負けたくないし、
包み込めるやさしさと
包み込みきれないアイデアと
共に
生きていけたらなぁって思う。



それなのに
負けてばっかで
頭があがらなくって。

けどその思いは途切れることなく
続けたいの。
そしてその葛藤が終わったときの開放感をね、
伝えたいの。

大丈夫だよって口だけじゃなく
言える人間になりたいの。






最初は憂いから始まったけど、
だんだんだんだん、
何かに昇華していきたくなっていった。

よく
そんな考えを抱きながら
夜を眺めてた。


夜だから
なんか妙に素直になっちゃって
偽るとか偽れないとか
そんなのすっごくちっぽけになっちゃってさ、
悲しいことがあっても
役に立つときが来るって知った。
なんとかなるって知った。



そんな繰り返しで年をとった。



今になると

必死にもがいていたけど、

それはそれで

よりよく生きていたんだと思えるんだ。

人と自分と

誰かを絶対ひとりぼっちには
させない。

けどその時は
その人が心のひとりぼっちの
時があった。



「ごめんね」と
言われるのが嫌いで、
「ごめんね」と
言うくらいだったら
「ありがとう」って
言ってくれと
よく
言っていた。

だけど、
一番「ごめん」って
言ってた。



人の気持ち
わかってあげられるような
優しい人間になりたかった。


けどその反面
自分の気持ちわかって
くれるような人を欲してた。






人の言う言葉や台詞は
その人を写しだす
鏡なんだね。

人が誰かに対して
言ってる事は
自分もしてほしいんじゃないかな。

なんか、そんな気がする。





本当の悲しさを
知っている人は
悲しい人の事
わかってくれてるようだ。

けど
その人も
その悲しみが
忘れられないからこその
行動なんだろうな。



人が話すこと。

それは
その人の気持ちを
表している。

当たり前の日常に

言葉に表せない感情が

詰まってる。


そんな所を知りたい。


ちゃんと耳を傾けるよ。

ちゃんと聞き取れば
そこは
偽りのない
言葉たちだから。

こころのかみさま

心の神様がいるんだって。

知ってた?



心の神様は
いつでも正しい答えを
出してくれるの。



だから心に一番最初に
よぎった気持ちが
心の神様の
答えなんだよね。


ぼくたちは
それに理由を
なんやかんやと
つけたがるから
せっかくの
きれいなきもち
淀んでしまうんだよね。



たぶんほんとは
心ってさ
シンプルだと
思うんよ。

楽しかったら
笑うし
悲しかったら
泣くし。

感動できたら
鳥肌立つし、
むかついたら
怒ればいいし。




なんで
子供って皆に愛されてるか
わかるかい。

心を開いているから。
何の曇りもないから。


大人になると
この人の内側って
なんなんだろうって
考えちゃうけれど
子供に対しては
そんな思い
出てこないでしょ?

安心しない?


何のくもりもなく
自分に接しているかと
思うとさ。


だから愛されるの。




だったらビビってないで
心の窓開けてごらんて。

心の神様に
したがってごらんて。


みんなみんな
そのままの君が
大好きなんだよ。

自然に流れる
その笑い顔も

自然に出てくる
泣き顔も

ふいに出す
ふくれっつらも

本当の
自分も

大好きなんだよ。


そうすればね、
絶対笑えるんだ。

何だかウキウキ。

気持ちいいよ。


遠慮なんていらないって。

遠慮しない人の方が
近く感じるから。

親しく感じるから。

自分も心開けるから。





心の神様は
そう言ってるんじゃないかって、

思った。