子どもころ。とても小さな子どものころにサンタクロースを信じなくなった。
クリスマスらしい寒い日で、園児が遊戯を踊っている。
同じくらいの年頃だった。
プレゼントを渡しにサンタさんがやってくる。
先生が、そう告げてから小さな会場は熱気で膨れ上がった。幼子のこころに火を灯した。
本物のサンタクロースがきた。
窓の氷が割れそうな拍手と歓声。

「園長先生じゃないか……」
すぐにわかった。わかったけど言葉に出していけないような、そんな空気に包まれていた。
僕の中のサンタクロースが死んだ日。

夏にもサンタが出る?
ずいぶんおおきくなってから、そんな話を学校で聞いた。
地球の北半球が冬のとき、南半球は夏なんだとか。
画面越しに見るオーストラリアの海。水上スキーに、白髪が踊った。
我が家でも貧しいながらも、母のシャロンがチキンを作った。
このチキンは手羽先何本分の価値があるのかなど、まったく意味のないことがアタマに浮かんでる。

また、大きくなった。
サンタクロースは何色もの衣装を持っているらしい。今の僕が知っている赤いサンタに、真っ赤なお鼻のトナカイさんは、
僕の知っているコカ・コーラ社のマーケティング戦略だと、雑学好きの空想癖のある少年は、赤いひげ爺を、存在を否定したくなる。

何枚ものくつ下を用意したのだけれど。
園長がサンタだったとしても。
翌朝に目覚めると素敵なプレゼントが入っていることを願いながら。

その日になると、何もなかったように母のシャロンは、急いで僕に靴を履かせ、保育園に送り出した。
1日経てば、くつ下の存在も忘れていた。

知ることばかりが全てではなかった。
知識が深まるにつれ、大切な何かを失っていったような気がする。

柿の種を飲み込んでしまったとき、母のシャロンは翌朝には頭から木が生えてくると笑った。
本人は怖くて怖くて泣きじゃくって、泣いたまま疲れて眠った。
知識があって、理解していたのなら、そこまで怖がらずに済んだのだろうけど。
おかげでスイカを食べて、種を飲み込んで明日におびえる日々は終わった。
終わったのだけれど、感動とか号泣とか、誰かの世界の終わりの予言とか。
「そんなアホな」ですませ、思考のオーバーラインを踏まなくなってどれくらいだろうか。

大人になってから、よほど風景がつまらなく、味気なく見えるようになった。
手を伸ばしても届かなかった果実の実り。
泥だらけになるから走らなくなった田んぼのあぜ道。
氷の張った水たまりを割っていく足の感触。
母のシャロンは、僕より背たけが小さくなっていく。



何か音楽から、インスピレーションを感じて書ければいいなと思った。
「サンタクロースが死んだ朝に」からはじまるサイコパスな歌詞に決めよう。
年末に、今年あなたが最も聴いた曲です。
動画サイトは、そう告げるに違いない。