つづきです~。
この日はしだれ梅と女人禁制の石上神社くらいしか決めていなくて
どこに行こうかな~とぼんやり(笑)
なんとなく地図上に目に留まった伊勢久留麻神社へ

淡路國の三の宮だそうです。
鈴鹿にある伊勢国奄藝郡久留眞神社から勧請したんだとか。
なんでここに
という感じでしたが、

なにやら太陽の道が北緯34度32分にあって、
箸墓古墳を中心に東に大和の三輪山と伊勢斎宮跡があり
西に二上山と堺市の大鳥神社と
淡路島にこちら伊勢久留麻神社と舟木石上神社が鎮座し
日の神の聖地が並んでいるのだとか。
昔の人は現代より感じる力があって
意味があって神社を建てたりしているんだと思う。
拝殿のところに楠公駒留の松の奉納画がありました。
駒留の松有りましたよ~。
三代目だって~。
淡路國の三の宮ということで、
なんか二の宮一の宮にもお詣りしちゃお〜という気持ちになり
この日のスケジュール決定
(←おっそ)

神職さんが松帆神社と兼務されているようで
御朱印は松帆神社でとありました。
松帆神社と舟木石上神社にお詣りしましたが
このことはまたあとでね

三の宮の後に一の宮の伊弉諾神宮へ

淡路島に来た時は必ず伺っています。
境内の清々しさが好き









国産み神産みを終えた伊弉諾尊が、
最初に生んだ淡路島の多賀の地を幽宮とし鎮まった。
この地で終焉を迎えた伊弉諾大神は
その宮居の敷地に神陵を築いて祭られた。
とのことで、現在の御本殿は神陵の墳丘の上にあります。
御本殿の廻りをぐるりとお詣り。
境内の大楠。
掃き清められていて気持ちいい
二の宮の大和大國魂神社へ

当神社の創建年代は詳しく分かっていないとのことですが、
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「日本の神々-神社と聖地- 3 摂津・河内・和泉・淡路」によれば、当神社は大和朝廷の勢力が淡路に及んだとき、その支配の安泰を願って大和国山辺郡の大和坐大国魂神社(現在の大和神社)を勧請した、と考えられているのだと言う。さらに同書では創建理由に異説があることに触れ、大和神社の最初の祭主であった市磯長尾市(いちしのながおち)の出自が九州の海人族であった関係により、大和神社を海人族の住む淡路島へ特別に勧請したと言う説、淡路の海人の槁根津彦(さおねつひこ)が倭直(やまとのあたい)の祖と言われることから三原郡の国魂神を大和大国魂神と称したとする説、淡路が大和政権樹立の最初の寄留地であったからとする説を紹介している。「中世諸国一宮制の基礎的研究」では、大和朝廷の支配と係わって勧請の時期を5世紀とする説があることを紹介している。
(ウィキペディアより)
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無人でしたので御朱印はいただけませんでしたが、
後で調べたら近くの八幡神社の神職さんが
兼務されているらしいです。
おのころ島神社も近かったのですが今回はお詣りせず…
翌日の朝に行こうと思ったんだけど起きれなかった(笑)
西に住むなら淡路島もいいなぁ~。
なんてね(笑)
つづく~。
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