肩書きがなくなったとき残る
“ただのワタシ”を愛せるか


こんにちは照れ

よぴです。


最近、私は『何もしたくない病』になっています。笑


昨年末に
「手放せるものは全部手放す」
というメッセージのような直感が働いて、
それに従っていろいろ手放しました。


仕事量も減らしました。


だけど、今まで動いていた反動で
すっかり何もできなくなりましたえーん


「何もしたくないワタシ」を
思い切り許せているかというと、そうでもなくて

ちゃんと仕事をしている人や
発信している人を見ると

なんとなく比べてしまって
劣等感を感じる日もあります悲しい


母親として
講師として
誰かのために何かをする役割


そうやって外に向かって
何かを成し遂げようとする

エネルギーの中にいた頃は


“何者かである自分”を
当たり前のように生きていました。


でも、その役割を手放していったとき


役割の少ない自分に
“無価値感”が出てきたんです。


何者でもないワタシの時間が増えすぎても
バランスって崩れるんだなって。


今までは外に向かうエネルギーがあったからこそ
たまの一人時間が特別だったのかもしれないし


もしかしたら私は
「母親」という役割すら
ちゃんと認めていなかったのかもしれない。


自分では、たいして母親していない気がしてしまうこともあるし


逆に
母親という役割に甘えて
仕事をしない理由にしているのかな、とか


そんなことを
ぐるぐる考えたりもします赤ちゃんぴえん



人生って、いろんな時期がありますよね。


こんなふうに立ち止まっている時間も
誰かの気持ちに寄り添える力を
育てているのかもしれないな、と思いながら


この感情や感覚を
ちゃんと味わってみています。



そして、ふとした瞬間に


「何もしていない時間にも、価値があるのかもしれない」


そう思えたときがありました。


ほんの一瞬だったけど

すごく贅沢で
すごく豊かで

満たされている感覚がありました。


何かをしているから価値があるのではなくて

何もしていなくても


すでにあるものや、

流れている時間を感じられること自体が

もしかしたら豊かさなのかもしれない。



まだずっとそう思えているわけではないけれど

そんな感覚に触れられたことを
今は大事にしたいなと思っています。



何者でもないワタシを
少しずつ、愛していく途中です。