肩書きがなくなったとき残る
“ただのワタシ”を愛せるか
こんにちは![]()
よぴです。
最近、私は『何もしたくない病』になっています。笑
昨年末に
「手放せるものは全部手放す」
というメッセージのような直感が働いて、
それに従っていろいろ手放しました。
仕事量も減らしました。
だけど、今まで動いていた反動で
すっかり何もできなくなりました![]()
「何もしたくないワタシ」を
思い切り許せているかというと、そうでもなくて
ちゃんと仕事をしている人や
発信している人を見ると
なんとなく比べてしまって
劣等感を感じる日もあります![]()
母親として
講師として
誰かのために何かをする役割
そうやって外に向かって
何かを成し遂げようとする
エネルギーの中にいた頃は
“何者かである自分”を
当たり前のように生きていました。
でも、その役割を手放していったとき
役割の少ない自分に
“無価値感”が出てきたんです。
何者でもないワタシの時間が増えすぎても
バランスって崩れるんだなって。
今までは外に向かうエネルギーがあったからこそ
たまの一人時間が特別だったのかもしれないし
もしかしたら私は
「母親」という役割すら
ちゃんと認めていなかったのかもしれない。
自分では、たいして母親していない気がしてしまうこともあるし
逆に
母親という役割に甘えて
仕事をしない理由にしているのかな、とか
そんなことを
ぐるぐる考えたりもします![]()
人生って、いろんな時期がありますよね。
こんなふうに立ち止まっている時間も
誰かの気持ちに寄り添える力を
育てているのかもしれないな、と思いながら
この感情や感覚を
ちゃんと味わってみています。
そして、ふとした瞬間に
「何もしていない時間にも、価値があるのかもしれない」
そう思えたときがありました。
ほんの一瞬だったけど
すごく贅沢で
すごく豊かで
満たされている感覚がありました。
何かをしているから価値があるのではなくて
何もしていなくても
すでにあるものや、
流れている時間を感じられること自体が
もしかしたら豊かさなのかもしれない。
まだずっとそう思えているわけではないけれど
そんな感覚に触れられたことを
今は大事にしたいなと思っています。
何者でもないワタシを
少しずつ、愛していく途中です。
