前回からの続き

 

1983年4月2日

WBAジュニアウェルター級タイトルマッチ

アーロン・プライヤー🇺🇸vs金相賢🇰🇷

 

センサク・ムアンスリンからWBC同級タイトルを奪取した金相賢はソウル・マンビーにKO負け後

OPBFタイトルを防衛しながらWBAの指名挑戦権を得てプライヤーに挑戦

試合は1ラウンド早々鎖から解き放たれた野獣のようなプライヤーの波状攻撃に為す術なしのサンドバック状態

 

あまりのワンサイドマッチに2ラウンド終了時にドクターチェックが入ってしまう有様

 

結局何とかOKが出たのか試合再開するが、瞬く間に連打の嵐を受けレフリーストップ

プライヤーが強過ぎたと言えばそうなのだが、これもアジア圏の選手が惨敗した黒歴史的な試合であった

 

1989年2月8日

WBAウェルター級王座決定戦

1位マーク・ブリーランド🇺🇸vs2位李承純🇰🇷

 

ブリーランドが1ラウンド54秒瞬殺で惨敗

マーロン・スターリングをゴング後KOした(のちに無効試合)トーマス・モリナレス🇨🇴が返上したWBAタイトルの決定戦

これも明らかに実力差があったが、東洋人を上位に優遇するシステムゆえ決定戦が実現してしまった試合だ

 

1983年7月17日

WBAフライ級タイトルマッチ

王者サントス・ラシアル🇦🇷vs申喜燮🇰🇷

 

1ラウンドTKO負けの惨敗

 

同年5月に穂積秀一(帝拳)を2ラウンドでKO防衛を果たしたラシアルが2ヶ月後韓国で防衛戦

 

サウスポーの申喜燮は期待されていたボクサーで会場も超満員。

 

だが開始早々ラシアルは重いフックを振り右で最初のダウンを奪う

 

再開後も容赦なくフックを振り回すラシアル。一方的に打たれレフリーが間に入りストップ・・

かと思いきや試合は続行

 

もはや戦う力は残っていないフラフラの申喜燮にラシアルは右フックでトドメ

5月の穂積戦に続き2ヶ月でファイトマネーを荒稼ぎしたラシアルは強かった

 

申喜燮は後に韓国でのIBF世界戦乱立期に王者となるがドディボーイ・ペニャロサにKOされて引退。

 

韓国ボクシングに詳しい知人から伝わった話だが、2023年に申喜燮氏は亡くなられたとの事

負けはしたがラシアルとペニャロサ戦は記憶に刻まれている

 

 他には

アイク・クォーティvs朴政吾(左ジャブだけで惨殺)

ジュリアン・ジャクソンvs白仁鉄(アジアの大砲1発も発射せず)

など

振り返ると名チャンピオンに挑んだ韓国人ボクサーは実に多い。ランキング1位となり指名挑戦権を得た結果であるが、裏を返せば日本人ボクサー、特に中量級以上は韓国人ボクサーの厚い壁に跳ね返されその機会がなかったと言う事

 

さて1月24日“超一流”井上尚弥に挑む挑戦者キム・イェジュンはこの『惨敗史』に名を連ねてしまうのか否か

 

答えはあと2日