2000.8 中国西北少数民族を訪ねてシルクロードを行く 3/20 夏河 チベット自治区 チベット仏教ラブロン寺
臨夏→夏河/赤茶けた山あいを走る
臨夏Linxiaで昼食を取り、イスラム寺院を見学したあと、夏河Xiaheに向かった。いつの間にか山が赤みを帯びだしている。
標高は、臨夏が1900mだったから2000mを超えたはずだ。山は緑が増えてきて、赤茶の斜面は段々に耕されている(写真)。通り沿いの民家も赤い土を突き固めた版築工法やレンガ積みの壁に、黒い瓦屋根をのせている。農業が定住と安定収入をもたらしたようだ。

農業には水が欠かせない。注意していると、谷筋を勢いよくしぶきを上げながら流れ落ちていくのが見つかる。M君が日本語で白水と書き、澄んだ清らかな水のことで、中国ではbaishuiと発音する、と教えてくれた。キラキラ光りながら流れ落ちていくから白水の言い方は的を射ている。
このあたりではキラキラ光る白水だが、やがて黄土高原を削って茶色くなり、ついには泥流の黄河になる。自然の営みは桁違いにスケールが大きい。
麦の刈り入れ時のようで、竹竿を横に組み、大勢の男が藁を干している。井戸端?水場端?に女が集まり手作業しながら談笑している。定住すると暮らしの営みが通りにあふれ出してくる。定住+農耕+レンガ壁・瓦屋根だから漢族と思うが、確証はない。
→標高3000mチベット自治区へ/山は荒涼とする
さらに山を走っているうち、荒涼としてひだの深い山が迫ってきた。山肌は人を寄せつけないように荒々しく、樹木も緑地もまったくない。運転手のSさん、ガイドのKさんによれば、チベット自治区に入ったらしい・・中国ではチベット族を蔵族と表記する・・。
山裾に、土塀を巡らせた土壁の四角い箱状の住居が山を背にして並んでいる(写真)。一段下がって、まばらな緑色の樹木、灌木が見え、さらに一段下がって畑地がつくられている。

さらに手前は、浅い川が川床の砂利で小さな波を立てながら流れている。
風景は、荒涼とした山並みを背景に、山裾に土色で箱状の住居、続いて畑地、手前に浅い川の構成である。夏河の標高は3000mに近いから山の頂きは冬になると凍りつき、氷が溶けたあとは吹き下ろす強風で山肌が削られてしまうのであろう。一方、溶けた水は地表では川、地下で伏流水となり、畑地、緑地を潤し、暮らしを支えているのではないだろうか。
チベット族=蔵族は半農半牧を営み、農業では主食となるツアンパ・・麦焦がしに似ているらしい・・の材料となるチンクームギ・・ハダカ麦の一種だそうだ・・を栽培し、牧畜では綿羊、ヤギ、ヤクなどを飼育するそうだ。車から見える人々もそんな暮らしだろうか?、考える間もなく夏河の街に入った。
当時の野帳を抜粋+加筆する・・標高1600m~では白茶けた山並みの風景だったが、標高2000m~になると赤茶の山並みの風景に変わり、標高3000m~では荒涼とした山並みの風景になった・・1984年にネパールを訪ね、標高の違いで気候が変わり、その結果、生業や住まい方が変わり、土地ごとの民族文化の違いになることを学んだ。蘭州~臨夏~夏河でそのことを思い出した・・。
人はその土地の風土のもとで生まれ、その土地の風土と暮らしてきた。暮らしを取り囲む生き物も草木もその土地の風土のなかで育っている。そこには優劣も順序もない。ともに共存し合っている。ともに共存しなければ命を長らえることができない。
人は住まいをつくるとき、その土地の風土のなかから材料を選ぶ。食べるものもその土地で育ったもののなかから探す。おのずと暮らし方、住み方は風土化する。
風土化された暮らし方、住み方は代々伝承されながら洗練され、工夫が加えられ、土着文化が形作られてきた。土着文化とはその土地にもっともかなった暮らし方、住み方なのである。自然体系の観点からいえば、その土地にきわめて循環的である。
それはまた、風土の変わり目が土着文化の変わり目であることを教えてくれる・・風土論にはまっていた自分を懐かしく思い出した。
標高3000mの夏河到着、チベット仏教のラブロン寺へ
夏河は中国語でXiahe、日本語では"かが"と読む。東経120度、北緯は宮崎ぐらいの32度だが、標高は2900mを越え、空気はひんやりしている。まわりは褐色の地肌をむきだしにした山が囲んでいて、山並みは標高4000m級に連なる(写真)。

町並みは東から西に流れる大夏河に沿って伸び、盆地の大半は麦畑と牧草地に利用されていて、羊、ヤギ、牛、馬などが草を食んでいる。半農半牧の暮らしである。
人口は13万人ほどで、7割がチベット族=蔵族、残りが漢族と回族だそうだ。夏河では、チベット族の民家訪問が主目的である。
チベット族の信仰はチベット仏教であり、夏河にはラサのポタラ宮に次ぐ規模を誇るとされるラブロン寺がある。ラブロン寺拝観も予定に組んでもらった。
16:00ごろ、ラブロン賓館についた。ラブロンは中国語では拉卜楞と表記しlabulengと発音する。英語ではlabrangと表記される。ラブロン賓館は大夏河に面した立地で、ラブロン寺から西におよそ2kmと離れている。拝観時間が迫っている?ので、スーツケースをフロントに預け、ただちにラブロン寺に向かった。
目抜き道路は川に沿った一本道で分かりやすい。賓館の北は畑地?牧草地?で、その先に岩肌のような山が迫っている。東の彼方の山裾に町並みより群を抜き、屋根を輝かせた建物見える。目指すラブロン寺らしい。
目抜き通りは舗装され、広々としている。歩車道が分離されているところもあれば、店先のテントが歩道までせり出しているところもある。交通量も人通りもそれほど多くない。えび茶色のマントのような服を身につけた人がチベット仏教僧のようで、連れだってゆったり歩いているのが目に付く(写真)。

16:20ごろ、ラブロン寺に着いた。
資料によれば、ラブロン寺の創建は清の時代1710年・・1709年説もあり・・、チベット仏教ゲルー派を代表する寺院だそうだ・・チベット仏教にはニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4大宗派があるそうだが、深追いせず・・。
龍山と呼ばれる山の斜面を境内とし、敷地は82万㎡と紹介されている。82000㎡は単純計算で900m×900m、東京ドーム18個分に相当し、見通せないほどの広さである。
境内は城壁のような土壁で囲まれていて、聞思、続部上、続部下、喜金剛、時輪、医薬の6大学院、仏殿84棟、仏宮30棟、経堂6棟、4000人を収容できる大経堂、18の大師官舎、堂500間、僧舎1000間のほか、塔、楼閣、付属施設などが建ち並んでいるそうだ(写真)。
入口あたりから一望しただけではどれが何かは分からない。写真左が寺の中心となる聞思学院らしい。 続く
