2026.3 権現山を背にした紀州東照宮は家康の10男頼宣の建立
 朱色が色あせた木製鳥居で一礼する。その先に石造りの鳥居が建つ。一礼する。
 うっそうとした社林のなかに石灯籠がかしこまって並んでいる(写真)。紀州徳川家家臣の寄進らしい。

 参道は左に折れ、すぐ右に折れると、天をつくような石段が目に入る(写真)。劇的な場面構成である。

 紀州東照宮は北にそびえる権現山(標高67mほど)を背にし、このあと訪ねる和歌浦天満宮は北の天神山(標高95mほど)を背にしている。
 推測するに、雑賀崎から和歌浦にかけて山並みが続いていて、紀州東照宮は67mの山を背にして建立され、山を東照宮ゆかりの権現山と呼び、天満宮は95mの山を背にし、天満宮ゆかりの天神山と呼んだのではないだろうか。

 紀州東照宮は、徳川家康(1543-1616)の10男頼宣(1602-1671)が浅野幸長に代わって和歌山城に入り、紀州徳川家初代になった1919年、東照大権現(徳川家康)を祀る東照社(のちの東照宮)建立に着手し、元和7年1621年に完成した。
 のちに徳川頼宣も南龍大神として合祀された。

 話を戻して天をつくような108段は東照大権現の威信の高さの演出のようだ。石段の両側にも家臣から寄進された石灯籠が端然と並ぶ。108段は侍坂と呼ばれる。石灯籠も侍坂の名も東照大権現、徳川家への忠節を表しているように思う。
 108段はマンション7階分ぐらいと思い上り始めるが、蹴上はかなり高く踏面は狭い。息を切らし、気持ちを集中させて上る。

絢爛豪華な紀州東照宮に参拝する
 石段上に朱塗りの楼門が構えている(写真)。

 楼門は南向きで左右=東西に回廊が延びているが、石段から見上げたときは回廊は社林に隠れ見えない。
 楼門、回廊ともに国の重要文化財である。楼門で一礼する。

 楼門の正面の石段の上に南向きの唐門が構え、唐門の左右に瑞垣が延び、唐門の奥に権現山の樹林に包まれた本殿が建つ(写真)。

 唐門で一礼し、本殿の前に立つ。本殿は権現造りで、手前に拝殿、続いて一段低い石の間(合いの間)、最奥に本殿が並ぶ。

 拝殿からは奥が見えないが、本殿は桧皮葺入母屋屋根で間口3間、奥行き3間、拝殿は桧皮葺入母屋屋根に千鳥破風をのせた間口5間、奥行き2間、石の間は桧皮葺切妻屋根である。
 頼宣は父である東照大権現を祀る日光東照社(のちの東照宮)に参詣しているだろうから、紀州東照宮は日光東照宮に準じたに違いない。

 木部は朱塗漆を基調に、黒漆を効果的に配色し、極彩色の彫刻を施している(写真)。

 左甚五郎の彫刻もあるらしいが、見分けがつかない(写真)。狩野派、土佐派も壁画?を描いたらしいが拝殿からは見えない。

 絢爛さに圧倒される。唐門・瑞垣、拝殿・石の間・本殿は国の重要文化財である。

楼門から和歌浦の雄大な風景を眺める
 拝殿で二礼二拍手一礼し、戻ろうとして楼門から見える和歌浦の眺望に目を取られる。
 改めて楼門を見る(写真)。石段を上ってくるときは社林に隠れていたが、唐門から見下ろすと堂々たる構えだったことに気づく。揺るぎない存在感を見せている。

 楼門の開いた扉から見える和歌浦は雄大な風景である(写真)。和歌浦から吹き上げる風が楼門の扉口で強められるので、姿勢が前向きになりそのまま和歌浦に飛び出していきそうな気分になる。

 唐門から和歌浦の絶景を眺めた頼宣始め紀州徳川家の藩主は、東照大権現の意思を継ぎ天下を治める気概を養ったのかも知れない。

 楼門から本殿に一礼し、108段の石段を下りる。勾配が急なうえ吹き上げる風が強く、油断をすると足を滑らせそうだ。手すりにつかまり、家康は決断し行動を起こすまではゆっくりゆっくり慎重にことを進めた、などと思いながら慎重に降りる。
 紀州東照宮参拝のあとは和歌浦天満宮に向かう。