2011.2 御茶ノ水駅から本郷通りを下りニコライ堂へ
 JR中央線御茶ノ水駅を出て本郷通りを南に数分下ると、右にニコライ堂が異国を思わせる雰囲気で建っている(写真)。

 ニコライ堂は愛称で、正式名は日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂である。
 明治24年1891年、ニコライ・カサートキン大主教によって建てられたギリシャ正教会の聖堂で、尖端状鐘楼があるドームの高さは38m、日本最大のビザンティン様式の建物として国の重要文化財に指定されている。

ギリシャ正教会=東方正教会を復習する
 ローマ帝国48代皇帝コンスタンティヌス(270?-337、在位306-337)は、313年のミラノ勅令でキリスト教を公認したこと、324年にそれまでの四分統治=テトラルキアされていたローマ帝国を統一したこと、330年、首都をコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)に移し、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)が始まったことなどは教科書で習った(塩野七生著「ローマ人の物語」に詳しい)。

 ローマ教会(西ローマ帝国、西方教会)とビザンティン帝国(東ローマ帝国)のコンスタンティノープル教会(東方教会)はもともと同じ教義だったが、476年に西ローマ帝国が滅亡するとローマ教会は新たな政治的保護者を探さねばならずゲルマン人に布教を広め、ローマ教会の首位権を主張し、教皇-大司教-司教-司祭の階層組織を作るなどして、東方教会と少しずつ教義の差異が生まれ始める。
 1054年、当時の複雑な国際情勢を背景に教義の違いが表面化して、東方教会、西方教会それぞれが相手を破門し、分裂する。

 1453年、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)はオスマン帝国に敗れ、首都コンスタンティノープルはイスタンブールとなり、教会堂はモスクに造り替えられた。
 コンスタンティノープル教会(東方教会)の聖職者、聖遺物の多くは、ビザンティン帝国と姻戚関係にあったロシア帝国に避難した。

 以降ロシア帝国では東方教会が信仰され、ロシア正教会堂が建てられていく。

 ビザンティン帝国(東ローマ帝国)ではギリシャ正教が信仰された。ギリシャ正教では各地の正教会がその地域に根ざしていて、ロシアであればロシア正教会、日本では日本正教会、ルーマニアであればルーマニア正教会・・が独立して活動し、総称して東方正教会と呼ばれる。(誤りがあれば陳謝)。

函館にロシア正教会堂が建つ
 1858年安政5年に日本とアメリカの間で結ばれた日米修好通商条約により、1859年安政6年、横浜、長崎、函館が開港する。

 同年、ロシアと日露和親条約が結ばれ、函館に着任したロシア領事ゴシケヴィッチはロシア正教の函館ハリストス正教会堂を建て、1861年、修道士ニコライが来日し(のち大主教)、日本における正教会が本格的に動き出す(英語のイエス・キリストは、ロシア語ではイイエス・ハリストスと発音する)。
 函館ハリストス正教会堂は1907年の函館大火で焼失し、1916年、河村伊蔵を中心にビザンティン様式+ロシア様式で再建された(写真)。

 函館ハリストス正教会堂は2017年8月に訪ねている(「2017.8 北海道・函館を歩く/赤レンガ倉庫群・八幡坂・旧函館区公会堂・基坂・ハリストス正教会」参照)。

神田にロシア正教会堂を移す
 ニコライ大主教は正教会を東京・神田に移し、1884年、ロシア工科大学教授ミハイル・シチュールポフの原設計をもとに、帝国大学造家学(現東京大学建築学科)教授終了後、建築設計事務所を開いていたジョサイア・コンドルの実施設計で、煉瓦造+石造のギリシャ十字型プランの聖堂を建て、1891年に竣工する。
 これが日本ハリストス正教会=日本正教会で、ニコライ堂と愛称された(写真web転載、1910年ごろの外観)。

 夏目漱石著「それから」にも「・・代助は面白そうに、二三日前自分の観に行った、ニコライの復活祭の話をした・・」と描写されるほど、当時の人々の関心を集めたようだ。

 1923年の関東大震災でニコライ堂が大きく損傷したため、岡田信一郎の設計で改修され、1929年に完成する。改修されたニコライ堂は(写真)、1910年ごろの外観と比べると、ドームの立ち上がり部分=ドラムを高くして丸みを強調し、鐘楼を低くおさえて安定感を増すなどの改変がうかがえる。

 余談)東京都世田谷美術館(1986年竣工)などの設計で知られれる内井昭蔵(1933-2002)の祖父はロシア正教会の信者で豊橋ハリストス正教会堂を設計し、昭蔵の父も信者で小田原ハリストス正教会堂などの設計をし、昭蔵もロシア正教会の信者で葬儀はニコライ堂で行われたそうだ。

壁一面のイコンで飾られたニコライ堂内部
 ニコライ堂の門は北側になり、聖堂は北西側を入口とし、ドームを南西側とした北西-南東軸に配置されている。
 内部を拝観しようと入口に向かったが、拝観時間を過ぎていて(冬季は13:00~15:30)聖堂は閉まっていた。
 東方正教会での礼拝ではイコン(聖画像)が重要な信仰対象で、どの家庭にもイコンが飾られ、旅のときは小さなイコンを持参して礼拝するそうだ。
 教会堂には寄進された多くのイコンが壁一面に飾られていて、正教会の国を旅したときに正教会堂の壁に飾られたイコンを何度も目にした。

 ニコライ堂には入れなかったが、webを検索し、大らかで穏やかな雰囲気の内部空間を写した写真、

壁一面に飾られたイコンの写真を見つけたので転載する。

 ニコライ堂には四方の壁面には99ものイコンが飾られていると紹介されている。
 次の機会にイコンを拝観したいね。

 2011年2月、ニコライ堂の外観を眺めたあと、お茶の水界隈を歩いた。大学時代に通った覚えのある懐かしい店も残っているが、ずいぶんと様変わりしていた。
 記憶に残っている店と似たような感じの店に入り、ビールを傾けながら意気揚々としていた学生時代を思い出した。
 中村草田男は「明治は遠くなりにけり(1923年)」と言ったが、いまや「昭和も遠くなりにけり」である。