わたしはかつて、
「すべては光なのです」とか、愛だ、とか、
そんなことばを聞いたり見たりしたら、
「はぁー
それなら、わたしの、この苦しい、しんどいのは何やねん
」
それなら、わたしの、この苦しい、しんどいのは何やねん
」と、それらのことばを、きもちわるく感じていました。
自分を大事にしてあげて?愛してあげて?とか言われたら、
「はぁー
わけわからん。それがわからないわたしはそんなにアホなのか
それさえできないわたしは、、」
わけわからん。それがわからないわたしはそんなにアホなのかなんて思っていました
悲しくなっていました。
1つ前の記事に書いたような、
なんか、内側の声?のような、なにかわからないけど、
「早くきづいてよ、出してよ」という、
「なにか」が発する声?のような、思い?のような、
(いや、それは今だからそう思うのか?当時は、なんかわからんけど、そうせざるを得なかったような)
それに導かれ、、
ポイントをためる。
内側を満たす。
ということをし続けていたんですね
そしたら!ある日、
/yoooooooooooko/entry-12039930171.html
こんなことが起こりました
「よけいなもの」っていう、本当のわたしじゃない、外付けのなにかを取りはらっていきたい!
けど、取りはらうのにはしんどい思いとか、怖い思いとかしなきゃいけないのかなー
って、勝手に感じていました
が(笑)
それは、、
今までの、生きにくい中で、
自分をまもるために、とってた手段やったのかなー。
かつては、それをしないと、生きてられなかったんよね。
それがないと、生きてられなかった、武器みたいなもの?
そんな、よけいなものは、
もう必要ないし、
隠しておくこともないし、
ただ、そうだったという事実だけ。
取りはらうのは大変やと思っていた外付けのよけいなものは、
「わたし」と、「よけいなもの」に、あっさりとわける?ことができた、というか、
わたしには、もう必要のない「よけいなもの」というものにきづくことができたのです。
外側から、がむしゃらに、しんどい思いをして、よけいなものを取りはらっていくのではなく、
なんか、かすかに内側に感じていた、かんちがいかも?なんて思っていた、キラキラ光るようななにか、それにフォーカスしてみたのです
わたしのまわりにあった、よけいなものという殻を打ち破った方法。
「本当のわたし」と、「よけいなもの」にわけることができたのです
長くなってきたから、続く

今日、うつぼ公園で、みてきたバラ
美しい
