わたしは、自分に対して、
たとえば「美しさ」っていうものを、
「ないもの」にしていました。ないものだと思っていました。知りませんでした。
だから、外側から足していました。
世間で言われる基準?に合わせて。
「ない」というか、否定していたから、
それを隠すために、必死に、上に重ねて、足して、
もはや、本当のわたしは、息ができなくなって、
鏡が見れなくなったのでした。
昔は鏡がみれなかったのに。
ところが、
なんだか、内側の声が、
聞こえ出したのです。
かすかにね。わからないぐらい。
それがね、どんどん大きくなってくるの。
「早くきづいてよ」
「早く出してよ、隠さないでよ」
わけわからんよね、何のこと?って最初は思ってた。
「出したい!」
これが、何のことなのかわからないまま、数年間たちました。
ある日の夜、この記事の中にある、
本当の姿。
今までに身につけてきた、武器、ヨロイをはずして、裸の自分を知る、みる。
(わたしは、これ、ある日のお風呂で、その姿をみたんやけど、みるまでは、そんなみすぼらしい、かっこ悪いわたしなんてみたくない!でした。いざ、みたら、、、、めちゃ輝いていたのです
)
みるのは、少しこわい?かも?たくさん身につけてきたひとほど。
でもね、その姿を知らないまま、気付かないまま、見たくないから隠したまま、
社会の情報(テレビ、雑誌などのメディアとかの)での、キレイ、かわいい、をつけたす、ほんとの姿を隠すのは、
ほんとの自分じゃないものになろうとしたり、取り入れたり、合わせたり。
どんどん本質から離れていく。
なにかわからないけど苦しい、しんどい、とか。
ちぐはぐになっていく。
その他のモノゴトの選択基準も、ずれていく。
でもね!
本来、美しくないひとも、輝いていないひとも、いないのです!
はい、ある日、お風呂に入ってたら、
こんなことが起こったのです(笑)
そこから、もう、すべてが逆転しました
いつでも、それを感じられるのではなく、、
美しさそのものモードと、わたしなんてモード。
これ書いたときにはわからなかったことも、わかった
いまは、感じられないわたしなんてモードの時があっても、
それにきづけば、美しさそのものモードに戻ってこれます
あと、なんかしんどいー、時も、
「わたし、いま、しんどいー」ときづけば、戻ってこれるようになりました
今日、ちらりと目にした、明日の新月のいくつかの記事、
あ、わたしが最近感じてること
って思って嬉しくなった
前回の自撮り講座では、話せなかった(ことばになっていなかった)ことも、また話していきたいです


また、音楽もしたいなぁ

