教外別伝不立文字 | ハーナヨーガ's blog

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京都・上賀茂神社神社より徒歩3分 Yoga教室のヨーガにまつわる呼吸・瞑想のおはなし。

私のブログはアクセス数少ないのですけど、なぜかこの記事だけ特別多いんですよ



YOGA関係の人からしたらチャクラやクンダリニーがないなんて言ったらビックリするのは判ります
ビックリするだけなら良いけど、「ない事が許せない」なんて人もいるんでしょうか?
それはそれらのワードがビジネスに使いやすいから?
それとも特別でありたい、という執着?



修行してきて思うのは、ベースにあるべきなのはバクティだという事
「私」という幻の自我が努力して開発するチャクラやクンダリニーの力なんてたかが知れてる
大いなる力の前には無力に等しいです


YOGAや仏教を学んでいくのは、出しゃばりたい自我の存在を自覚し、撤退して貰うのを説得するため
自我が自我を撤退させるために学ぶので、間違いも沢山おかします(私もです)
そんな時の為にグル、マスター、師が存在しています
その存在は大いなる力そのもの


禅には独参というものがあって、一対一で指導をして頂くのですが、これがないと禅の機能を果たさないし、当然いききった方でないと指導の意味もない  
禅では解脱しないとの説もありますが、私は独参で師にお会いするたびにその桁違いの凄さに驚かされています
言葉ではない指導も沢山あります


「教外別伝 不立文字」
核となる部分は文字に起こせず、教典にもなっていない
詳細を外に漏らしてはいけないので、色々書けないのが悔しいくらいです