[無形の神か有形の神のどちらを信じるかとの問いに答えた人に対し]
どちらの面からでも、信仰を持っていれば十分だ。お前は形のない神を信じている、それで結構だよ。しかし、たとえ一瞬のあいだでも、これだけがほんとうで他は全部うそだ、などと考えてはいけない。形のある神も形のない神とまったく同じようにほんものだ、ということをおぼえておいで。
ただし、お前自身の信念は固く守るようにしなさい。
[なぜ母なる御顔は黒いのか、と問う人に]
自分が彼女からたいそう遠く離れているから、黒く見えるのだ。そばに行けば、彼女は何色でもないことがわかるだろう。
神に近づけば近づくほど、わずかしかその属性を見なくなるのだ。ついには彼が神の前にきたときには、彼はいかなる属性も見ず、ただ光を見るだけだ。
この世は神のお遊び(リーラー)だ。それはゲームのようなもの。このゲームには喜びと悲しみがあり、美徳と悪徳があり、知識と無知があり、善と悪がある。もし、創造から罪や苦しみが全部除かれたら、ゲームは続かない。
神はヨーガ・マーヤーの助けによってすべてのリーラー(遊び)をなさるのだ。
ブラフマン(の普遍性)とリーラーの関係は否定と肯定、同一実在の二つの面、屋根とそこに登る階段のようなものだ。
だから、リーラーもやはり実在であり、神がわれわれの内部に「私」なるものを意識させておられるかぎり、感覚の対象は存在するのであって、この世界を夢だ、などということはできない。