瞑想とは | ハーナヨーガ's blog

ハーナヨーガ's blog

京都・上賀茂神社神社より徒歩3分 Yoga教室のヨーガにまつわる呼吸・瞑想のおはなし。

チベット仏教カーギュ派
チョギャム・トゥルンパ・リンポチェ







「タントラ-狂気の智慧」より


ふつう、宗教は美や詩、恍惚、至福をうたう。
だが、仏陀によれば、私たちは人生の体験をありのままに見ることから始めるべきだという。私たちは苦しみという真実、不満という現実を見つめるべきだ。

それを無視して人生の華々しく楽しい面だけを検証しようとするわけにはゆかない。約束の地や宝島を探しているのなら、そんな希求はひどい苦しみに終わるだけだ。
そんな島にはたどりつけず、そんなふうには悟りは得られないからだ。

だから、仏教のあらゆる宗派は、自分の生きている状況という現実にまず向き合わなければいけないと説く事で一致している。

夢見ていては始まらない。それは一時的な逃避に過ぎない。真の逃避など不可能なのだ。

仏教は、瞑想修行を通してその現実思考をあらわにしている。瞑想はエクスタシーや魂の至福、静寂を得ようとか、より良き人間になろうとすることではない。
瞑想とはただ、自分たちの神経症ゲームや自己欺瞞、秘められた恐怖をさらけ出し、ときほぐせる空間を作ることなのだ。

その空間は、「何もしない」という単純な修行を通してつくり出される。実際、何もしないことはむずかしい。まず私たちはできるだけ何もしないことに近づくことから始めてゆく。そして徐々にその修行を進展させてゆくのである。

つまり瞑想とは、心の内なる神経症を掻き出してそれを修行の一部として利用する道のことだ。神経症を投げ捨てるのではなく、肥料のように庭に撒くのだ。それは私たちの豊穣さをともにになうものになってゆくのである。