子供の頃、人の家の玄関の前に、お坊さんがお鉢を持ってお経をあげてるのを見て、なんでお坊さんのくせに乞食みたいなことをするんだろうと不思議だった。乞食する修行なのかな?ってね。
まあ、施しを受けるという意味では、あながち間違った解釈ではなかったのだけれど、本当の意味は、‘‘相手に施させる’’ことこそが目的だったと後で知ったんだ。
つまり、お金で苦しむ人たちはなぜ苦しむのか?
それは、他者に対して施しが出来てないからなんだよ。
施せないから自分を苦しめてるんだ。
するとみんなこう思う。
自分が経済的に苦しんでる時に人に与えられるわけないだろうと。
でもね、順番が逆なんだ。
施さないから苦しむ。また、そういう人に限って小金を持ってもケチケチして人に与えようとはしない。
するとお釈迦様は思う。
「それだけあるなら、少しは周りに与えられないのか」と。
ね、托鉢にはそういう意味があったんだ。
よく西欧人の金持ちは寄付したりしてるよね。
実はこの托鉢的な意味を知ってるからなんだよ。
だから、自分にいいことがあったら周りに‘‘分福’’するとさらに幸福を招くんだ。
欲しければ与える、苦しければ与える
ごきげんよう(≧∇≦)/