川内先生お願いです
僕の反対側から縫ってください
いや、でも
川内先生出来ます!
諦めたくないんですよね?
記憶がなくてもあなたが積み重ねてきた努力は身についています
昨日を覚えてなくてもあなたが生きてきた日々は確かにあるんです
その自分を信じてください!
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昨日のことも覚えてない記憶障害の脳外科医を杉咲花が演じるドラマを観た。
冒頭のセリフは、若葉竜也演じる脳外科医、三瓶医師が杉咲花演じる川内先生に手術を行うことを奮い立たす為に言い放った台詞。
これを聞いてて、ああやっぱり自分は根拠のある日々の積み重ねに、結果がついてくることの方が嬉しいと思った。
自分はラッキーに生きてこれたとは思っている。
しかし、それは無条件のラッキーではない。
自分なりに考え工夫し、決断して行動したことに結果がついてきてくれたというラッキーだ。
スピリチュアルでは、引き寄せの法則には努力も必要ないと言う動画も目にする。
トントン拍子に引き寄せられている人にとっては、努力などしてないということを喧伝したいのだとは思うが、
いや、待ってくれ
それでは、わざわざままならないを実感するために、この世に生まれてきた意味がないではないか?
死んであの世に行けば、黙っていても退屈になるくらい、思ったことがすべて目の前に現れるというのに。
思っただけで世界中のどこへも、そして、過去だろうが未来だろうが瞬間移動してしまうというのにだ。
そして、杉咲花の日記にはこう書かれていた。
今日を精一杯生きる
私には今日しかないから
余命幾日もないと言われたり、明日は来ないと思えば、人間は今を大切に生きようと初めて思うのだろう。
ある高尚な坊さんが癌になった時に、「私は仏の道を歩み、人間は出来ているつもりだから本当のことを教えて欲しい」と医者に懇願し、
それならばと「あなたは癌です」と伝えたら・・・
その高尚な坊さんは自死したという話がある。
俺は子供の時にこの話を聞いて、人間はそう簡単に“出来る人間“にはならないと思ったし、出来る人間になる必要もないと思った。
人間は完璧にはなれない動物だと思うから。
しかし、完璧にはなれなくても、自分の理想に近づこうという努力が、その人の生き様になるんだと、漠然とは思って生きている。
自分の思いに
考えに
行動に
伴った結果は良し悪しに関係なく受け入れられるし、何より自分が決断して行ったことだ、後悔などない。
しかし、無条件に思いもしないところからもたらされたラッキーは、本当に嬉しいと思うだろうか?
思考がアッちゅう間に目の前に現れる幸運は死んでからの楽しみにとっておき、
この世では“ままならない"を克服した達成感を生き甲斐にしたい
そして、そうして生きてきたさ!