「俺はツイてない、本当に不運だ、なんで俺だけがこんな目に遭わなければいけないんだ!」


と、嘆く人は多いですが、

理由は簡単。人に喜ばれること、感謝されることをしてないからです。


最近はあまり見かけなくなりましたが、お坊さんが托鉢で街中に立っていることが以前は多くありました。


中には、人の家の玄関先に立つお坊さんもいて。煙たがられたりもしてました。

「お坊さんが施しを要求するなんていったい何なのかしら?」


托鉢の本当の意味を知らない人はこう考えますが、


托鉢とは、施しをしてもらう為に立ってるわけではなく、施しをさせるために立ってるのです。


言葉足らずで語弊を招きそうですが、貧乏人はなぜいつまでも貧乏なのか?


それは、人に与えることをしないからです。人に与えることが出来るようになれば、事態も好転して貧乏から抜けられるのです。


それを教えるためにお坊さんは托鉢をしています。


まあ、黙って立ってるだけなんで、逆に誤解されがちでしたけどね。


つまり、不運を脱却したいのなら「人を喜ばせなさい。そして、感謝されなさい!」ということです。


英語でも言いますよね、ギブ・アンド・テイクって、

「何か欲しけりゃ、まず自分が与えろ!」ということです。


世之介が共同通信杯を当てたときに、前ぶれがあった話をしました。

それは、パワハラを解决して多くの人に喜ばれたことでした。


言動だけなら、それはパワハラの範疇ではない場合もありますが、そいつは小突いたり、頭をはたいたり手を出してました。

それを会社に直談判しやめさせたのです。


ね、物事にはちゃんと理由があるんです。


ありがとうございます!

感謝申しあげます!!