オレは小さい頃、神さまに見せてもらったことがあるの。

死ぬとね、二つしか質問されないからね。

一つは、「人生を楽しみましたか?」って。

もう一つは、「人に親切にしましたか?」。

この二つしか聞かれないんだよ。

だけど、この二つは同じなんだよ。

人生を楽しみましたか?…って、他人(ひと)に喜ばれると、人はすごくうれしくて楽しいんだよ。

人間、生きてて、なにがうれしい、ってさ。

ゴルフで、ポンって、穴にボールが入ってくれるのも、うれしいだろうけど、

「あんたがいてくれて、しあわせだよ」とかね。

「あなたと同じ時代に生まれてしあわせだ」とか。

そうやって言われたら、いちばんしあわせだよね。

「自分は人からどんなふうに思われてもいいんだ」って言うけど、嫌われたら、しあわせじゃないよね。

だから、しあわせって、追求したらね。

追求すればするほど、人に喜ばれることが、「しあわせだ」ってことがわかるよね。

人間ってさ、自分の魂が成長したときに無上の喜びを感じるものなんだよ。

引用:斎藤一人 著
『人生が楽しくなる「因果の法則」』PHP研究所

 

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見たり聞いたり、本で読んだりしたことを実際体験すると

 

「ああ、このことだったのか」って、凄い腑に落ちる

 

これって、感動だよ。

 

ああ、やっぱり神様っているんだねっていうね

 

そんなものいやしないよって思うより、

 

ああ、神様もいるし、オバケもいるし、UFOもあるし、宇宙人もいるよ!

 

って、思った方が自分の人生ゲームのアイテムがいっぱいあると思えて

 

絶対楽しいよ。

 

人に親切にすること、すなわち、人生を楽しむこと

 

これが人生の摂理だって、うん、今なら確かに思える。

 

これってさ、気付く人はもっと若いうちに気付けて

 

もっと魂が高みに成長しているのかもしれないけど、

 

俺はああ、今で良かったと思える。

 

それなりに好きに生きてきた。

 

恋愛もいっぱいしてきたし、危ない橋もけっこう渡ってきたな。

 

失敗もたくさんしてきたし、俺ってこんなに情けないんだと

 

悔し涙で枕を濡らしたこともある。

 

でも、もう一度生まれ変わるなら、もう一度同じ人生をなぞりたいとさえ思う。

 

ただね、今思えば

 

この”人に親切にする”ってことが、たぶん、出来てこなかった。

 

というより、してこなかったのかもしれないとさえ戦慄を覚える。

 

もし、このまま死んで、神様にこの二つのことを聞かれたとき、

 

「ええ、人生は楽しんだと思いますよ。でも、人に親切にしたかと言えばそうでもないかもしれない・・・。」

なんて答えてしまうのだろう。

え、そんな答えしか言えない人生ってどうなのよ?

 

って、今文字を打ちながら思うよ。

 

死ぬ前に走馬灯のように自分の人生がフラッシュバックして見えるというけれど、

その走馬灯がさ、自分が親切にしてこなかった人たちの泣き顔だったとしたらさ

慙愧に耐えなくて死ねやしないよ

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」って言いながら死んでいくのって

 

辛すぎるよね。

 

斎藤一人さんの教えを知れて、確実に世之介は楽しい人生を送れるようになりました。

 

これからは身近な人から

より親切にできる人間になりますね。

 

全部、自分のいいと思うようになりました。

ありがとうございます!

感謝申し上げております!!