先月、諫早の小学校一年時代からのクラスメイトHちゃんが我が家に来て、2泊していった日々をブログアップした。

諫早中学校や諫早高校の同窓会でも、もちろん彼女とは会っているが、最後の同窓会から何年ぶりで会えたのだろう。

 

とにかく夢のように時は過ぎゆく。記憶も遠のく・・・ということが今回分かった。🌸

 

夜中まで語り明かした中で、20代の頃をなつかしく思い出していた。

☆は彼女と琵琶湖のヨットセーリングに行ったことがある。

 

☆:

『ほら、Hちゃんが多分新婚の頃やったと思うけど、一緒に琵琶湖にヨットに乗りに行ったとを覚えとっ?』

Hちゃん:

『うん、覚えとっよ。』

☆:

『あん時、ヨットを出してから、(風が結構吹いていた)、ふっと思ったとさ。ヨットが沈してHちゃんにもしものことがあったら、ご主人や諫早の御両親に申し訳なか、って。それで、急に不安になってきてさ~💦、風をなるべく逃がしながら、ヨットがヒール(傾斜する)せんごと、沈せんごとって気を付けながらセーリングしたとよ~💛』

Hちゃん:

『うん、ヨットに乗ったとは覚えとっとばってん、その後が傑作さね~。(笑いを抑えられないHちゃん)

おへそはヨットの後、コーヒーを飲みに行くとに、どがん言うたと思う? ”コーヒー代ぐらい、パチンコでサッと稼げるよ”って言うてさ~、パチンコ屋さんに行ってさ、100円、あっという間に玉の無くなったやかね~。(爆)(爆)ほんなこて、可笑しかった。コーヒー代くらい稼げるって言って(豪語)、あっさり100円すってしまったとには 笑うたよ。』

☆:
『ムムム・・』

 

☆がそんな無様なことをしたなんてことは記憶の彼方に消えていた。全く覚えていない。

そもそもパチンコ屋にHちゃんを連れて行くなんて、、ハシタナイことをした記憶がない。

 

諫早の父が言っていたこと、、「賭け事は ツマラン。あぎゃんことは したら 出来ん」

 

☆は父の教えを守り、賭け事はしたことがない・・・つもり。

ところが、一回生の時、必須単位で、体育があり、その体育の種目が多彩で、陸上、サッカー、テニス、卓球、バスケ、スケート、ボーリング、スキー、エトセトラなどであった。

 

毎年、冬は一回生だけバスに乗って信州のスキー場で1週間しごかれる。長野県、新潟県にホームゲレンデが何か所かあった。

大学所有と言う意味ではなくて、毎年学生が単位を取りに来るスキー場なのだ。

地元のプロのスキーの先生たちが10名程の学生に一人ついて、午前、午後としごかれる。

 

夜行バスでの往復で、恵那と言うスポットで必ず、夜の休憩時間が入る。教官がパチンコの玉を買い、学生たちに何個か配って待ち時間を潰させるのだ。パチンコは初体験。立って、玉を一個ずつ、穴に入れて、玉が飛ぶ方向を目で追って、運よくチューリップの中に落ちると、じゃらじゃら、新しい玉が出てくる。あっという間に貰った玉はなくなったが。

 

学生時代は余分なお金はないから、4年間、その時以外はパチンコなどしたことはない。

就職してから、20代の若手ばかりの青年部の親睦会で、帰りにM君(社会科専門、京都の学生時代はワンゲル部)が、『パチンコ、せえへん?』と笑いながら皆を誘ってきた。千林商店街のパチンコ屋さんに皆で入っていき、学生時代のスキーの時以来、久しぶりにパチンコをした。面白い。チューリップが開くとドキドキした。

真面目が絵を描いたような人ばかりだから、賭け事にうつつを抜かす人はいない、、はず。

 

☆はその後、何回か、のんこちゃん(体育専門の友)と行ったことがあるし、一人で入ったこともあったような記憶が。💦

玉を買う時、☆は貧乏だからせいぜい100円分か200円ぐらいだったと思う。☆は運動神経が良いので結構上手だった。

30分かそこらして、疲れて、タクシーで寮まで帰ったこともあったなあ~~。タクシー代ぐらいは稼げる。数百円。

 

可愛いもんだ。

 

ところが、Hちゃんを連れてパチンコ屋さんに入ったことは全く覚えていなかった。

お嬢様育ちのHちゃん、さぞかしビックリしたんじゃないだろうか。(笑)

『何が ”コーヒー代位稼げる”ね~、あっという間に”おへそ”(←☆のニックネーム)は100円すってさ~~、可笑しかっさ~』とHちゃんが思い出し笑い。

 

他に告白すること・・・賭け事・・・宝くじを買ったことがある。他に、家族麻雀を20代の頃、姉宅で無理矢理教えられたことがある。4人のメンツが揃うように、義兄、姉、☆、そして諫早の幼馴染 文代ちゃん(伊丹空港勤務)の4名。

お食事つき、コーヒー、果物、酒風呂付。姉宅は金持ちで、お風呂に一升瓶のお酒を入れる。姉は料理も抜群に上手い。

しかも義兄は太っ腹で、幼馴染や☆の牌を見せると、説明してくれて、わざわざ☆たちが勝てるように振り込んでくれるのだ。

 

段々面白くなってきて、夜も更けて、義兄が「そろそろ 終わりにしようか。」というと、☆が非常に残念な顔をする。

すると、義兄が面白そうに、『じゃ、もう半ちゃんしようか』という。☆の顔が活き活きとよみがえる。

義兄がそんな☆を観て大笑い。

ついに、質屋で、☆は新品の麻雀を買った。箱入りのきれいな紫色の牌。しかし、使ったことは一回だけ。

我が家に幼馴染の文代ちゃんが旦那様を連れて、ちょうど4名揃った時に一回だけ使った。

以後、☆はマージャンとは縁がない。捨てるには勿体なくて、まだ、置いてある。

 

医療過誤で、足腰、大和田哲雄医師に麻痺させられて、☆の未来は消滅し、登山用の一式は全て捨てたというのに。

イタリア製の上等の登山靴も捨てたのに。高かったなあ。あの頃で数万円したもん。穂高連峰の岩を登る時、威力を発揮した革製の登山靴。靴底がしっかりしていて、ほんの少しの岩の窪みにも適応し、3点確保の体を支えてくれる優れものだった。

槍ヶ岳から上高地まで一気に駆け下りた時も、あのイタリー製の登山靴だった。

↓琵琶湖でのセーリング 

 

もうそろそろ麻雀牌も断捨離の時期か。未練を断って。爆

↓我が家のアイドル アビシニアン君 ☆のベッドを占拠。

↓ アビシニアン君のために、キャットウオークを設置してもらって、、天井近くをぐるり、走り回る。

~☆の医療ミス犯罪事件~

関西労災病院 整形外科 当時第二部長 大和田哲雄医師の無断の人体実験手術の犠牲になり、麻痺の無い体で、左腰の痛みを治療するために入院したのに、米国の新式術式の器具を初めて実験手術して、激痛、劇麻痺、術中、大出血の放置、背中8か所切り刻まれ、チタンの釘6本の内、3本誤刺入、誤挿入をそのままで縫合。神経に当たり、激痛、、、血腫も☆の脊髄神経、神経根を圧迫したまま、1週間放置され、マヒ完成。

しかし、カルテは改ざんされ、ナース記録も改ざんされていた。

 

1週間後の手遅れの血腫除去術は間に合わず。

(医学的知識としては血腫は時間が勝負。24時間以内に除去しないと麻痺させるという恐ろしいシロモノを大和田哲雄は1週間も放置。緊急ドクターコールにも来ず。犯罪医師である。)

☆は身体障碍者にされたのだが、裁判をしても、大和田哲雄は『麻痺は出てなかった』という風に偽証をして、☆は最高裁まですべて敗訴となった奇々怪々の事件。☆の麻痺は住友病院で精密検査、他、京都などの公立病院でも神経の検査を数か所受けて、麻痺は証明されているし、データも診断書も裁判所に提出。

なのに、☆が敗訴になった。

所詮、不出来な医者や不出来な裁判官、司法界の人間がする裁判。悪者が勝つ国。

 

しかし、天網恢恢疎にして漏らさず、、、天罰はいずれ大和田哲雄医師の上に下るはず。

そうでないと、次から次に犠牲者が出る。

もう18年間、大和田哲雄を放置してある。何人の患者さんたちが犠牲になったことだろう。

                    大阪の☆

 

 

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