(1122)大和田哲雄医師からの手紙 8~9ページ (本日Yahooブログから移行しました。フォトは省略します。)

2010/11/6(土) 午前 2:59

フォト①

(☆からの質問内容)

☆『ドレーンからの出血が止まったことが あまりにも早過ぎる事から ドレーンに問題があるとは思われませんでしたか? MRIなどで調べようと思われなかったのは 何故ですか?

(大和田哲雄医師からの返事)

『ドレーンをしごいて(ミルキングといいます)より陰圧をかけるしか方法はありません。(★のつぶやき1へ)

☆『ドレーンの排出が悪ければどのような危険が起きると認識されていましたか?』

大和田哲雄医師『もちろん血腫です。』(★のつぶやき2へ)

フォト②

☆『手術当日 術後、縫合不全とドレーンが乾いていることに午後3時山下医師が気がついてくれました。5時間も手術して何故 縫合が雑なまま帰室させられたのですか?何かあったのですか? 縫合の良否で治癒の仕方に差が出ますか?』

大和田)『オペは3時間20分です。特に理由はないです。 縫合は皮ふの問題のみで、神経症状とは 関係はないと思います。』(←★のつぶやき3へ)

 

フォト③

☆『山下医師がドレーンが乾いてしまって血を体外へ排出出来なくなっていることを発見して下さいました。☆は術後から、すぐに劇症が出ていました。激痛、シビレ、火花が散るような電気が走るような刺激、痙攣が両足や腰にピクピク起きていて、坐薬、点滴でもたいして効果なく、山下医師に「安楽死させて下さい。健康だった右足まで酷い症状が続き、腰は火山爆発のような症状です。殺してください」と懇願しました。このような状態を山下医師から聞いて大和田先生は危機意識はありませんでしたか?』

 

フォト④

大和田『次の手術中でしたので、とりあえず山下Drにまかせて、OPが終了してから見に行くのでと言ったはずです。この時点では最悪下肢のマヒが出現するならすぐに再手術のつもりでした。(オペ室にも 言ってありました)』 (←★のつぶやき4へ)

 

フォト⑤

☆『大和田先生は夕方術後初めて☆を診にこられました。この時、骨盤激痛、横向きでしか寝れない状態で、”ドレーンが乾いているし、100ccでストップしているから少な過ぎる。血餅が出来てると思う。そやけど手術したら誰でも血腫は出来る。再手術しても又血腫が出来るやろ?な?再手術しても一緒や!そのうち毛細血管から血腫が吸収されるかもしれんからな。マヒが出たらすぐ再手術やけどマヒがまだ出てないから様子をみよう。100ccと少な目で痛みやシビレもキツイようやから、今夜中に再手術になるかも。何かあったら呼んで”と言われましたね。私が”再手術になるんだったら、又、大和田先生に執刀してもらいたいです”と頼みましたら、先生は ”ま、なるべくな、、”と気の乗らない返事をされました。再手術は誰が決定するのですか?』

大和田『私です。』

 

フォト⑥

☆『金曜日、もしかしたら先生はもう病院に戻らないおつもりだったのでは?受け持ちの患者の術後が危ない状態と危惧しながら戻るつもりはなかったのでは?』

大和田)『それは ないです。』(←★のつぶやき5へ)

 

☆『決定権を持つ主治医がこの時点でもう見放していたような気がしますがいかがでしょうか?また、血腫が毛細血管から吸収されるという考え方はある程度血液が排出されて、痛みやシビレや睡眠摂取の有無や麻痺感などが安心できる閾値に達している場合以外は通用しないのではないでしょうか?脊髄付近のオペですから』

 

フォト⑦

大和田医師『あくまでも再手術の決定は術者である私がします。神経マヒの出現がなければ、確かに再度全身麻酔をかけて、傷を開くのは逆に勇気がいります。ただ、今思えばこの時点で再手術をしても良かったと悔やみます。』(←☆のつぶやき6へ)

 

フォト⑧

☆『22日、”殺して!”と苦しむ私を 夕方一応大和田先生が診られて、主人に”血腫は術後、誰でも出来る。確かにドレーンが乾いているが、手術したら又振り出しに戻るだけです”と説明されたそうですね?主人が”再手術するかどうか誰が決定するんですか?”と聞いたら「医師(自分)が決めます”と仰ったそうですね?』(←☆のつぶやき7へ)

大和田『そう言いました。』

※ (追記)、大和田哲雄医師は夕方、談話室で主人に『血腫が出来てるから痛みが酷い。どうしますか。再手術しますか?』と訊いたそうだ。主人は術前説明も聞かされておらず、突然、再手術しますか?と医師に言われた時、『医学を知らない家族に再手術するかどうか決めさせるのか?再手術するかどうか決めるのは誰が決定するのか?』と問うたそうですが、大和田医師は『決定権は僕にあります。』と答えたそうです。主人は医学に素人の家族に決めさせるなんて、おかしいやろう、と随分後になってから☆に教えてくれました。この時点でも、血腫=麻痺する危険性、など一言も大和田哲雄医師は主人にも、☆にも発言していませんでした。単に,痛みと血腫だけに限定した発言でした。)

 

~~~~~~以下、★のつぶやきコーナーです。

★1

〇 ドレーンが装着してあっても、血がそこから排出できなければ、ミルキング(管をしごく)とか、パンピング(ドレーンを 患部を刺激しないように離れた部分を丸めて指で弾いて排出を促す動作)などして、とにかく血腫を溜めないようにケアするのが大事ですよね?でも誰もしてませんでした。

100歩譲って、誰かが1~2度やったと主張されたとしても、それでドレーンからの排出がスムーズにいかなかった場合、付け直しの再手術もせず、ほったらかして良いのでしょうか?  

プロはマサカのことを考えて間違いが起きないように対応できるのがプロでしょう?違いますか?白衣の人間たちは、誰も真面目な観察もしなかったと思います。ルーティン通り、血圧測定、体温測定、脈拍測定だけで、大変な血腫によるマヒの進行具合を チェックする人はゼロ。☆の主訴を聴くだけのナース。所謂、傾聴だけ。 誰も足指、脛、ふくらはぎ、太腿など触診しませんでした。

 

どこに知覚マヒや深部感覚の異常が出ているのか、問診する人もゼロでした。深部感覚・・まさに運動神経マヒに繋がる症状ですが、誰も調べず。激痛に耐えて主訴する☆に、ただ傾聴して、看護日誌に時々記録するだけ。☆は、足首も 臀部も腰も太腿も 締め付けられるような絞扼感が出て苦しんでいました。神経マヒは大和田が言うような運動マヒだけでなく、知覚マヒも神経マヒのはずです。

術後、塩田研修医の所見「多少、術中の神経接触の後遺症として一過性のシビレが起きるが問題ない」、、そういう問題のないシビレや疼痛は術後ある患者がいるととしも 一過性の単純なシビレや疼痛と比較して、☆のように重篤な運動マヒに進行していくシビレや激痛とどう見分けるのでしょうか?運動マヒが一旦出たら、予後は不良と医学書に書いてあります。脊髄神経は短時間でもマヒさせられることがありますし。又、ジワジワと進行してマヒしていく場合もありますね? 術後1~2時間の間にすぐに運動マヒが出たら、ある意味幸運です。すぐに血腫を除去したら、後遺症は残りにくい。でも神経が知覚マヒ・運動マヒへと ジワジワと時間をかけて進行していった場合はどうでしょうか? 血腫が神経を圧迫していた時間が長ければ長いほど取り返しのつかないほど神経はダメージを受けるはず。後遺症も大きいはず。☆は 術後すぐから劇症でした。どれほど痛み止めの点滴をしても坐薬をしても劇症で眠れないのです。少なくとも、MRI検査くらいはすぐに入れるべきでしょう? 順調な術後じゃないんですから。

 

★2

大和田は ドレーンの不調=血腫のリスク、マヒのリスクは 認識していたわけですね。でも、じゃあ、具体的に彼は何をしたのでしょうか??? NOTHING 何もしてないのです。

 

★3

手術が長引いた場合、通常その理由を待っている家族に説明するのではないのですか?大和田は多分言えなかったのです。まさか不慣れな新しい術式を人体実験したとは。手術時間が3時間半だとしてら、何故5時間30分も手術室に☆を置いていたのか、理由が不明です。☆は病室に戻されてから覚醒したのです。

手術時間が長引いた理由を、チタンを挿入するのに非常に手間取ったとか、カット数が異様に多くなったとか、金具の挿入角度が定められず、神経に当たり、神経を傷めてしまっているとか、左はチタンが神経根に当ててしまって激痛を 一生分発生させてしまっていることとか、右のチタンは脊椎管の中に誤挿入されて神経を傷めているとか、大出血を起こしたとか、言えないでしょうね~。もう、患者に諦めてもらうしかない、そして、誤魔化そう、、そういう心境だったのでしょう。

ちなみに大出血を起こしたことはカルテに書いてありませんでした。何も手術のリアルな記録がないのです。セクスタントRの定型の手術手順のみが書いてあるだけでした。退院させてから、大和田哲雄は大出血を起こして止血に手間取ったと新たなことを言いました。

 

★4

大和田は 22日午後3時半頃 山下医師から緊急連絡を受けていました。5時過ぎに二番目の患者、70代の塩田氏をオペ終了し、☆の病室へ来ました。その時点でマヒが出ていたら再手術する予定で手術室にも伝えていた、ということですね? それは何時までの待機の指示だったのか?

夕方7時、大和田はこの時を最後に、もう☆の診察には来ませんでした。つまり手術室での再手術のスタンバイのメンバーは もうチリジリ帰宅したということ?再手術のための待機を誰がいつまでしていたのか。

クリスマスイヴの直前、大和田哲雄医師はサックスを吹いて、舞台で盛大に歌い飲み明かす予定でぎっしりだった可能性があります。ベラクルーズというジャズバンドを作っていると彼は書いていたのです。多々動画があります。彼はサックスを吹いています。

e-doctor 名医にきく、というネットで、大和田哲雄は『医療と音楽の狭間で葛藤』と書いていました。笑えます。

 

大和田は”これだけ痛みとシビレがキツイのは血餅のせいだ。今夜中に再手術するかもしれん。”とか「血腫は再手術しても又出来る、振り出しに戻るだけ・・」など、再手術に意味がなさそうな所見を述べ、言を左右にするような所見をうだうだ述べるだけで、何ら検査も入れずサッサと帰宅したのです。

 

翌朝、未明2時、☆は激痛、激シビレ、激電気刺激の連続で、もうダメだと感じ、記録ノートに遺書を書きました。そして、夜中、大和田医師を起こすのも申し訳ないなあ、、と気の毒に思いながら、、元同僚(鬼本先輩、高校の英語教諭)のメール(←未だ死んだらダメ。なんとしても生き残って。医者を叩き起こして!と言うメール)に励まされて、必死で緊急ドクターコールを出したのです。再手術しかないと思いました。山下医師には既に『殺してください。安楽死させてください。』と頼む程の、激痛、地獄の症状を起こされていたのです。再手術は恐いけどこのままではダメだと思ったのです。しかし再手術の決定権を持っている大和田は無責任に来ず。代わりに来た塩田浩史研修医は24~5歳の経験未熟な若造。

 

”相当痛そうだから、痛み止めの強い点滴を多目に処方する”と塩田は言って帰宅。☆はその時も既にずっと痛み止めの薬をを処方されていて、痛み止めの入った点滴も続けている最中でした。なのに、☆は更に多めの痛み止めを処方してもらうために夜中の2時くんだりに医師に緊急コールを出していません!助けて欲しかったから緊急ドクターコールを出したのです。

 

マヒの状態を知覚・運動両面で微細に観察もせず、押し付けだけの珍医学の所見を聞かされるだけの放置をされるために緊急ドクターコールを出したんじゃないです。

 

塩田浩史研修医曰く”手術で多少神経を触っているので、5人に1人は術後、痛みやシビレがキツイ。でも1週間で症状は消えます。麻痺してないから、こういう場合再手術はしない”と答えました。ただし、彼は麻痺の検査をしていませんでした。変です。

 

”血腫の検査方法はないのですか?”と問う☆に、”血腫の検査方法は・・・ありません!”と珍医学説を言い放ちました。

本当はMRI画像で血腫は診断できるのです。後で医学書を読んで☆は知りましたが、研修医って国家試験パスしてるはずですが。

術後の排出血が極端に少ないことも、☆の苦しみ、劇症のことも、塩田は気にとめませんでした。

医師たちの患者の痛みへの慣れと言うのは恐いです。これじゃあ、何人もマヒさせられっぱなしになることでしょう。

(※追記、後でいろいろ判明したことから、大和田医師も塩田研修医も、人体実験を隠蔽するために、血腫を貯めて、5日間以上放置するつもりだったとしか思えない。医学的に間違いだらけの所見を押し付け続けました。)

 

★5

 金曜日の午前中から午後2時15分まで手術して、覚醒してからずっとずっと激痛で、『殺してください。安楽死させて」と頼む程の劇症が術後からずっと連続していて、横向きの横臥位をナース2人が頻回に変えていくだけ。

 

再手術の決定権を持っているという大和田哲雄医師自身が病室に来ず、代わりに寝屋川と言う遠方からタクシーで塩田研修医が来たのです。塩田は何も処置出来ないでしょう。

大和田は退院後の☆に”あの時(23日午前2時)僕が行ったとしても塩田と同じ結論だったと思うよ。”とシャランと言いました。

しかし現実には「血腫が溜まってる、痺れ、激痛、劇症状、眠るどころじゃない」、これだけで、再手術している名医は多々いらっしゃるようです。完全運動マヒが出たら後遺症がキツイからです。完全運動マヒが出てくるまで、血腫と激痛と放置して何一つ良いことはないです。少なくともMRIで血腫の量や血腫の神経圧迫の部位を検査するべきです。 

 

★6

神経マヒがなかったと書いている大和田 。太腿は左右とも、酷い知覚マヒが22日直ぐに出ていたのです。横向きでしかベッドに体を置けず、上に来る方の足が下に来る足をひどく押して、重たくて辛かったですし、これって足に既に運動麻痺が起き始めていたのだろうと☆は思います。痺れも半端なかった。抉るような激痛スポットも腰やお尻、足に出ていました。

 

決定的な完全運動マヒ出現まで待つ?それって医道の王道でしょうか?「結果論で悔やむ」?サラッと言ってくれましたが、 患者は一生立位苦痛困難です。人生は完全に破壊されたのです。仕事復帰どころか日常生活復帰すら出来ない身障者にされたのです。術後からずっと、誰も☆に触診をしていませんでした。アホな能書きを垂れるだけ。

 

「全身麻酔を再度かけて、傷口を開くのは勇気がいります」と大和田は書いてますが、患者がマヒするリスクは放置しても構わないのでしょうか?この場合、麻痺を徹底的に回避することこそ、医者の必須の業務のはずです。

 

★7 

再手術しても、振り出しに戻るだけ、、この言い方、変です。血腫を残したまま放置したからマヒしたのです。早急に再手術してこそ、麻痺を回避できるはずです。何が振り出しに戻るだけなのでしょうか?大和田哲雄は名うての嘘つきです。

奴は血腫の除去の再手術を2例だけやったことがあると苦しむ☆のベッドの傍で言いました。滅多に起きない事象みたいに言いたかった様子。術後、殺してくださいと言う程苦しむ☆を説得しようとしていたのです。放置する方向で。

 

しかし、退院後、厚生年金病院の整形外科で富士部長を受診した時、彼は、「大和田先生、ここに居た時、何度も血腫除去術、してたよ。僕の患者さんに血腫の疑いがあったら、僕がいない時は大和田先生が再手術したり、逆に、大和田先生の患者さんを僕が再手術したりしてたよ。』と仰いました。珍しいことではなかったってことです。なのに、大和田は☆にこれまでの血腫除去術の経験は2例のみ、と話していたのです。内容はよく覚えています。矛盾した内容でした。

 

大和田哲雄医師の頭はボンクラなのでしょうか。これが阪大医学部卒の医者の知識?

阪大医学部って、ちゃんと医学を教えているのでしょうか? 

他の阪大医学部卒の整形外科部長が本を出版されていましたが、彼はしっかりと術後血腫へのリスクとリスク回避のことを書いておられます。大和田だけがボンクラ?必殺遊び人だから?

 

もう一つ、大和田が隠していたこと、、チタンなどの金属が3本、失敗していたのです。手術したばかりの患者から大きな釘が神経に誤挿入されているものを抜き取り、再度、挿入しなおすということが大和田には出来ない、放置するしかない、と思っていた可能性が高いのです。最初から麻痺させて隠蔽するつもりだったという疑いが濃厚です。

                           

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