一回生の時から、上高地へ大学の研究室から連れてってもらって以来、梓川の冷たい澄みきった青に魅せられてしまった。

徳沢園のキャンプ地辺りでテントを張り、梓川にフルーツの缶詰を浸けて、冷えたデザートを食べたことも驚き。

缶詰は冷えて汗をかいていたのだ。天然冷蔵庫みたいだった。雪解け水の集合なのだ。

 

学生時代に上高地に魅せられて以来、穂高連峰や槍ヶ岳などに登る時は上高地から入り、社会人になってからは毎年体力のバロメーターとして山に登るようになっていた。

 

 

 

  ~関西の山~

六甲山ではロッククライミングの練習をしたが、落下した場合、顔がこれ以上ダメになるとヤバイと悟った。

勿論 ハーネスなど装着して確保してもらって登り、懸垂で降りたが懸垂だけは快感。

足で岩を蹴ってスイスイ降りるのは面白い。でもずるずると一瞬でも顔から落ちたら悲惨。

足も短いし、ロッククライミングはアキラメタ。

 

六甲山縦走は完走。これも友と一緒にエントリー。早朝から夕暮れまで一気に駆け抜けた。

 

比良山には大阪から近いので時々登っていた。単独ではいかない。同僚たちと一緒にテントをもって、自炊しながらの楽しい山登り。日程、行程、食事のメニュー、全員で荷物の振り分けなど、準備そのものが楽しいものだ。

    

スキーは学生時代からずっと結婚後も毎年信州や蔵王、北海道などに家族で行ったり、同僚や娘と一緒に行ったりしていたが、

結婚後の上高地からの登山は無し。上高地周辺の温泉旅行だけになった。

札幌の友、康子さんとは二人で上高地に行き♨巡りをしたが、すごく感激した彼女はその後、御主人と一緒に上高地へ行かれたらしい。上高地の魅力は札幌の康子さんも魅了したのだ。

 

        ~久しぶりの上高地~ 

平成16年の夏、家人が珍しく、上高地へ行こうという。

上高地帝国ホテルへ家人が予約を入れようとしたらしいが、既に満員。

昔、旅の雑誌で、夏は上高地帝国ホテルのジュースのグラスは氷で出来ていると書いてあった。☆の記憶違いでなければ。

一度氷のグラスを経験してみたかったが、、、。

結局、近くの他のホテルに宿をとり、明神池などへ散策を楽しんだ。

 

     ~まさかの坂は 関西労災病院で~

まさか、その翌々年、平成18年の12月、左腰の痛みの治療で、兵庫県尼崎市の関西労災病院 整形外科 当時の第二部長、大和田哲雄医師に 無断で新式低侵襲術式のモルモット代わりに☆が利用されるとも知らず。

※ セクスタントR=目視不能、且つ、内視鏡も使わず、エックス線透視のみで切ったり釘を捻じ込む、米国由来の、当時の日本ではまだ誰もやってない術式。※

 

  ~大和田哲雄医師の人体実験手術~

大和田哲雄自身が後で白状した、『僕が新式術式セクスタントRに先鞭をつけてん』・・・💦

無断で試された患者☆は、突然、悲惨な人生に落とされた。

平成16年夏の上高地散策から2年後の平成18年12月暮れ、脊髄神経を麻痺させられた事件に遭遇するとは夢にも思わなかったのだ。

     ~病院や医師は怖い~

病院の怖さ、医者の怖さ、人格破綻している医者の恐ろしさをつぶさに体験したのだった。第二次大戦中の日本の帝国大学医学部の医師たちが捕虜兵たちを生体実験に使い、むざむざ殺していた事件は有名だが、今でも、それは行われていると感じた。

 

   ~長年の職業婦人としての人生は破綻~

☆は大学卒業後からすぐに就職し、ずっと激務をこなしてきた職業婦人だったが、術後、麻痺した体では職場復帰はできなかった。術後から、腰、胸胴回り、お尻、下肢が麻痺と激痛。

左腰の痛みの治療で歩いて入院。オペを大和田に決定されて、結果、脊髄神経麻痺となった。

しかし、医療ミスを隠したい大和田哲雄医師は研修医塩田浩史や、藤森孝人などを利用して、ドクハラをかけ続け、あり得ない言葉を浴びせられた。『僕だったら、☆さんの今の体の状態でも仕事復帰できますよ」などと。←藤森孝人研修医の言葉。

 

      ~裁判も大事だが、、ブログの勧め~

☆は、●□弁護士に勧められて、ブログに医療過誤の顛末を書き続けるようになり、メカ音痴の☆がブログを書き続けて苦節18年目に突入。大和田側の画策でヤフーブログは当初1週間で消されたが、更に工夫を加えて立ち上げ、裁判に突入。

 

拙ブログが少しでも世の中のお役にたてられたら本望である。

ちなみに裁判は地裁、高裁、最高裁、すべて、☆の敗訴。(笑)

おもろい国ではあります。

 

↓平成16年夏、家人    娘    ☆ この時は髪の毛ふっさふさ。

 

この日は小雨が降ってきて、ホテルの傘を借りて、明神池などへ散策

                  ↑梓川の透明な美しさ、目に沁みる。

↓お猿さん     ↓お猿さんの真似をするひょうきん娘、高校生

          

↓ネットより

上高地の魅力を世界に知らしめた功労者霞沢岳と六百山を望む梓川のほとりに、英国人宣教師ウォルター・ウェストン(1861-1940)のレリーフ(浮彫胸像)があります。 氏は登山家として日本各地の名峰を制覇し、明治24年(1891)上高地にも訪れて山案内人・上條嘉門次とともに北アルプスに挑みました。

 

↓嘉門次小屋 ネットよりフォト拝借 

上高地の嘉門次小屋のイワナの塩焼き[26105020996]の写真 ...

嘉門次小屋は今もある。そこではイワナなどの炭焼きが食べられる。

 

 

               大和田哲雄医師の医療犯罪と戦う、大阪の☆

↓我が家のニャン太郎、、アビシニアン君

 

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