「破門」
昨年弟子を一人「破門」しました。
「何でクビにしたんですか。」とどこへ行っても聞かれます。
また「二つ目に成ってまで、可哀相じゃないですか。」と噺家の仲間にまで言われます。
それはこのところ二つ目さんの破門や師匠を訴えるだの事件が重なっているからかもしれません。
落語家の「破門」と聞くと怒りに任せて「お前は破門だ!」と言うシーンを思い浮かべるかもしれませんが、実際にはそんな破門を聴いた事はあまりありません。
もちろん雷を落とした師匠が云うセリフとしてはよく在るかもしれませんが、それで破門になる事はまず無いと思います。
その日の晩に遅くともあくる日師匠の家を訪ね、頭を下げればそれで堪忍しない師匠は居ないと思います。
落語「出来心」ではありませんが涙の顔を振り上げて謝ればたいがいの事は許されるはずなのです。
なぜなら弟子が思うより師匠はずっと弟子を愛しているからです。師匠は諸手で弟子を受け入れ死ぬまで育てていく覚悟で入門させているからです。
一銭も貰わず、いや小遣いをあげながら稽古を付けこの世界で生きられるノウハウを全て教えるのです。可愛くない訳がないのです。
それが徒弟制度の噺家の世界と私は思って生きています。
ではなぜ弟子を破門にするのでしょうか?
社会的な犯罪を犯した者は言うに及びませんが情状酌量程度の犯罪ならクビにはならないでしょう。
師匠畏怖の念をもって尊敬し感謝があれば破門される事はまず無いと思います。
つまり師匠に対して感謝と尊敬が無い弟子が破門になるだけなのです。
本当の破門はとても静かです
「あなたはこの世界に向いてないのでもうお辞めなさい。今後一切この世界へ足を踏み入れてはいけません。堅気として暮らしなさい。」
芸名でなく本名で言い渡します。弟子の将来が自分の一言に委ねられているのですからそこに至るまで悩むのは弟子より師匠の方が何倍も多いのです。
噺家の弟子になると昨日までの他人を家に一緒に住まわせ行儀見習いを教え、飯を食わせ小遣いをあげて落語のいろはを手ほどく。
ひとつずつひとつずつ噺家に育てていく。まるで赤ん坊が立って歩くように成って行くようにです。
勿論小言は絶えないかもしれない。それは特殊な社会だから仕方ない事でみんなそれを乗り越えて来るのです。
俗に「カラスを白と言われれば白と答えるのが噺家の世界」と言いますが尊敬と信頼があればそれは大変な事ではありません。
入門するとだいたい次のような事を言われます。「でも」「だって」「嫌です」「違います」と言ってはいけない。いつでも「はい」と答えて従いなさい。
そして「挨拶だけは何処でもしっかりしなさい」何事も「人のせいにするな」これを守って居て破門になる事はまずありえません。
例えば楽屋で話を夢中でしていた師匠に弟子が挨拶をしたが師匠は気が付かなかった。しばらくたって「おいお前来てるなら挨拶しろ。」と言われ「しました」と答えると烈火のごとく怒った師匠「クビだ~」
今の若者はこれを理不尽と感じるかもしれませんが、これはとても師匠を尊敬しているとは思えないセリフなのです。
理屈はこうです「挨拶はしたかもしれない」しかし「それが相手に伝わらなければそれは挨拶をしたに成らないのです」
それを注意した師匠に対して「しました」は「一度挨拶したのだから気付かない師匠が悪い」と言っているのと同じになるのです。
つまり「嫌だ」「人のせいにする」を、言うに事欠いて師匠のせいにした訳です。
「挨拶しろ」は「~しろ」噺家の「しろ」と言われたら黒でも「しろ」の意味はここにあるのです。
まぁこの一件でクビになる事はまず在りませんが度重なって行けばいつかは師匠に対する尊敬と感謝が無いと判断されて「破門」となる訳です。
私も二つ目昇進した弟子を破門しました。理由は前座時代から度重なる今まで書いた通りの繰り返しがあったからです。
一回でクビになるほどのセリフも幾つもありました。「師匠のやり方では食えません」とか、小言の後に「私が居ると師匠に嫌な思いをさせると思いますから帰ります」と帰るなど。
あげればきりが在りませんが、
その度、謹慎にはしましたが破門に至るまでには時間がかかりました。
それはここまで育てた愛弟子に対する愛情が勝って居たに他成らないからなのです。
私は今でも三偏稽古と言って口伝で20席ばかり稽古を付けます。三偏と言ってもそれくらいの稽古で落語は覚えられません。
ひとつの噺を何度も何日も掛けて稽古します。
付け加えて私は前座を育てているのでは無く未来の噺家を育てているつもりですから前座時代からマスコミの仕事もさせています。CMに出したり雑誌やテレビの取材を請けたりそれは未来の弟子の為と思っています。
それをここでクビにしたのではそれを応援してくれた人たちへの申し訳が立たないと言う事で何度も破門をこらえました。
「きっと何処かで解ってくれると」考えていたからです。
どうすれば了見を入れ替えられるかと毎日悩み続けて終まいには私自身が入院してしまいました。そう言えば弟子を「破門」にする師匠たちは皆身体を悪くしている気がします。
一度は土下座をしてお願いしたのを受けて許しましたが、その後はしくじっても一回頭下げたのだからもう頭は下げませんと言う態度なのです。
真似事で良い「師匠の下で勉強させて下さい。」と言ってくれれば許そうとチャンスを何度もあげましたがそうはならず。
カミさんから言わせたら「おかみさんからは言われたくなかった」と開き直られては仕方なく。
「これからは本名で暮らしていきなさい。」と「破門」を言い渡しました。
私が弟子を破門にする理由は以上からです。
私の考えでは噺家に向いていない「了見」だから破門しました。
まだうちには三人の弟子が居ます。同じように育てて居ますが他の弟子はそのような事もなく今は育っています。
以上が「破門」の理由です。
私も先代金原亭馬生に昭和五十一年に弟子入りし、今尚尊敬と感謝を忘れず、可愛がってくれた女将さんに感謝しそしてこの世界で仕事をさせて頂いています。
そうできるのは古今亭一門の志ん生師匠や志ん朝師匠、噺家の全ての先輩の御蔭と思っています。
これが無い者は今でもこの世界には向かないので他の商売で生きて行った方が幸せと思っています。
長文お付き合いありがとうございます