11/24,25

当初の予定だと公認会計士の試験勉強のため2年生いっぱいでやめるはずだったが、結局最後まで4年間やり切った。

 

そして脚だ、肩だ、踵だ、最後には逆流性食道炎だと故障満載でほとんど試合に出られなかった次男も引退の最後の試合となった。

引退するのは実際寂しくはあるものの、アメフトの活動が試験勉強をとてつもなく圧迫し続けていた狂乱の生活が終わると思うと、次男も私もホッとしたのも事実である。

特に幹部である次男は最終学年のシーズンともなると、通常の練習やミーティング以外に部の運営についての幹部ミーティングも連日あり、それに粉砕骨折している踵を引き摺りながら出ていく姿は可哀そうで見ていられなかった。

 

さて、最終学年の最終戦の前日にはシニアデーと言って、4年生の親をグラウンドに招待してくれる催しがあり、「色々あったな」とジーンときた。

今までも試合の応援を通じてたくさんのご父兄に仲良くして頂き、まさかの大学でまで新しいママ友がたくさんできたのには驚いた。

さすがこれが慶應なのだと思っている。