9月24日、四日市市北大谷霊園(市営)西側の高台にある四日市公害犠牲者慰霊碑の前で、四日市公害慰霊祭が行われ、出席してきました。


 慰霊祭は、四日市公害患者と家族の会主催で行われています。

 今回で29回目にあたりますが、市長や市議会議長も出席して行われました。


 私たちが子供のころに学んだ四日市ぜんそく(一般には水質汚染も含めて四日市公害と表記します)について、市議会議員になって改めて勉強をし直しています。



 1972年に、四日市公害訴訟判決がでてから40年を迎える来年には、四日市市は「公害資料館」を整備する計画を進めています。


 72年の判決が出た際には、裁判所の前の市役所庁舎屋上から、「住民側勝訴」の垂れ幕を父と伯父が垂らしたんだと、聞かされていました。


 しかし、判決が出た後も、環境対策が追い付かず公害患者の死亡は続いていました。資料を読むと、1974(昭和49)年、私の生まれた20日後にも、小学生が亡くなっています。

 

 判決が出たことを知る人は多いですが、初めて公害認定患者が死亡した1964年4月2日を、四日市市民は記憶すべきかもしれません。


 慰霊祭を主催している四日市公害患者と家族の会の代表の方が、知人のお母さんだということを恥ずかしながら今回初めて知りました。


 北大谷霊園の一角にある公害犠牲者の慰霊碑に機会があれば、皆さんも足を運んでください。コンビナートの煙突を含め、四日市市街が見渡せます。


 公害を風化させることなく、四日市で生まれ、四日市で育ち、今こうして四日市市議会議員として活動している以上、この公害についてより深く学ぶ必要性を感じました。