8月6日は、四日市まつりで数々の行事があったので、そちらに参加していました。
でも、実は名古屋で、6日に「宗春道中」というイベントが行われていました。
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宗春、 徳川宗春。
尾張徳川家7代藩主です。
歴史好きの僕としては、小学校の時名古屋城内の博物館で尾張徳川家の系図を見て以来、名前はもちろん知っている大名でしたが、実は名古屋で今静かにこの徳川宗春を見直す動きが進んでいます。
ご存知のように愛知県は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康を生み、江戸期の大名とその家臣の多くが愛知県出身という、日本の近世をつくった地域です。
しかし、上記三英傑だけでなく、最近宗春が名古屋の繁栄をもたらした殿様としてピックアップされており、河村たかし名古屋市長も宗春に扮したりしています。
徳川宗春を名古屋活性化の起爆剤としようと、「宗春ロマン隊」も組織されています。
先日お邪魔した各務原の住職がこのロマン隊に参加していることから、この夏は宗春のことをいろいろ勉強しています。
時の8代将軍徳川吉宗の倹約政策に歯向かい、奢侈な生活をして幕府から睨まれ強制的に隠居させられ、死後の墓も金網で覆われてるなど反逆者として書かれた内容しか知らなかったです。
ちなみに、かの「暴れん坊将軍」でも、時に事件の黒幕のように描かれています。
実はこうした今までの視点は間違いだ、と主張する人々が地元で沸き起こっています。
1996年テレビ愛知で 痛快大名徳川宗春~吉宗に挑んだ男 という番組もありましたが、名古屋の番組が地元の殿様をちょっと評価して、番組こさえたんだろうな、程度にしか思っていませんでした。
しかし、今回ロマン隊がまとめた宗春の小伝を読み返してみると、改めて素晴らしい政治家なんだと気づかされました。
そもそも、父である藩主の20男 !!! として、生まれたけれども尾張藩主となれたのは、その後の宿敵となる吉宗のおかげだったのです。
兄の吉通にならって通春(みちはる)と名乗っていたのを吉宗から一字もらって、宗春と名乗ったことや吉宗が部屋住みの宗春を尾張の支藩陸奥梁川藩主として見出し、兄の吉通・光友の死後尾張藩主になっています。
吉宗自身も5代将軍徳川綱吉に見出され、紀州の支藩の藩主、紀州藩主、徳川将軍家に移っていった経緯と、宗春の経緯も似たところがあります。
きっと宗春も吉宗の期待に応えようと頑張っていたのかもしれません。
しかし、米を経済の中心とする重農主義者で節約家の吉宗と、今後活動を活性化し、重商主義者の農業規制緩和を目指す宗春では、所詮道が別れるのは仕方ないかもしれません。
ところが、宗春は名古屋が日本中から遊女や修行僧が集まり、江戸・京都・大阪という3大都市に次ぐ街として飛躍的に伸ばしていきました。
家臣に自らの基本政策というか、政治に対する訓示を冊子にして配布していたそうです。
その冊子も、宗春ロマン隊の皆さんが現代語訳してくれました。
それを見ると、大変家臣のこと藩組織のことをしっかり考え見通している優秀な政治家ということを改めて確認することができました。
今後は、名古屋を中心に活動する「宗春ロマン隊」に参加することを約束し、今はできる限りの情報収集にしていきたいとおもいます。