救急車で行った病院で圧迫骨折との診断は受けていたみたいだが、(私は付き添ってないので、聞いた話・・となるのだが)

そこは、入院体制がないので紹介された病院への受診と言うか

入院となる。

そこは内科系の病院なので、圧迫骨折に関して手術が出来るかどうかの診断の為、総合病院へ紹介状を書くという。

今頃って、紹介状が無いと受診や入院って難しい。。

地域連携何とか・・って言うやつだ。

で、手術が出来ればそのまま市民病院へ入院、出来なければまた戻って来てその病院で入院、ということで説明を受けた。

3~4ヶ月入院して、少し動けるようになったらリハビリをして・・との説明だった。

「手術は難しいだろう・・」的な空気が漂っていた院長の説明。

私もはなからそう思っていた。

まぁ、圧迫骨折で命を取られるような事は少ないだろう、、

それよりも腹水でパンパンに膨らんだお腹、そんなんで麻酔なんてかけられんやろう・・そのくらいは私にも解る。

アルコール依存症のしっぺ返しがやって来ていた。

そして、市民病院へ入院となる。

3月24日の事。

初盆も終わり、ほっと一息ついた頃、

新たな問題発覚。

最後は何とかなる、最後には何とか上手く行く・・と、心で念じながら今日を過ごしています。

 

それの始まりは3月の彼岸の頃でした。

彼岸前2日程から全く例の穴蔵から出てこない相方。

彼岸のお墓参りに(相方の)叔父夫婦や妹夫婦が来たであろう形跡はあったが。。(私は相変わらず呼ばれもしないし、仕事に行っていた)

3月22日、突然、救急車が庭に。

「えっ!?何?新手の詐欺か嫌がらせか何か?」と、咄嗟に思った。

怪訝そうな物言いで救急隊に言った。

「うちが呼びましたか?(何かの間違いでは?)」

「呼ばれましたよ」と、救急隊員。

夫(別宅の相方)が助けを求めて寝たきりのベッドの上から電話したのは、ある会社の会長さんだった。

この方の関係はこれから「K一族」と記する。

K一族の会長さんの手配で救急車が来て運ばれたのである。

今尚、K一族に助けられている私。

最初は、「この人達、いったい何なん?」と思ったのだが・・

そして、その日の夜、夫は帰宅。

それもK一族の皆さんと共に。

翌日、別病院に検査の為入院となるとのこと。

その手配諸々、K一族が済ませてくれていた。

四七日、

今日の昼過ぎ、仕事終わりで帰宅し、洗濯、猫の世話とか諸々済ませ、あまりに眠いので少し昼寝を決め込む。

相方の夢を見た。

20年位前の少しふっくらとした姿で元気そうだった。

お風呂に入ったみたいな様子で、さっぱりとした顔立ちで笑ってた。

が、その出で立ちよ。。

まるで往年の大スターが纏うであろうようなバスローブ姿(片手にブランデーグラスが似合いそうな・・)しかも、ピンク色。

何故かシャワーキャップも被っている、色はピンク。

何となく自分の行くべき道が解って来た頃なんだろう、、

(私の居ない間に入ってかも知れないが)風呂に入っていたのが数回しか記憶に無い、、

お風呂に入ってさっぱりして、行くべき道へ歩き出したんだな・・と。

元気でいた頃の姿で何よりや。

痛いところなど無さそうで何よりや。

笑えるくらいで何よりや。

私は、日々、一人になったんやな・・と感じとるで。