主人は小さく頷いた。

「何処に?」

「○銀」と、銀行名を言う。

この時、主人は私の方を見なかった、ベッドの自分の布団に目を落としてた。

私は、主人がメインバンクにしているその銀行にそのくらいの預金はあるだろうと思った。

ぶっちゃけて言うと、義母が他界し、少し要介護の義父が他界したとき800万の預金を残してくれた。

私はそれを主人から直接聞いたわけではない。

娘を通して知った。

その頃から、いや、それよりずっと前から私達は会話など無かった。ま、それはいいとして・・

娘が結婚するとき200万主人は包んだ。

それは義父が残してくれたお金だと思ったが、それはそれで有り難かった。残り600万。。

家に帰って程なくして病院から電話があった。

酸素吸収の状態がよろしくない・・と。

今現在は問題ない状態だが、安定しない・・と。

もしもの場合、かねてよりの話の通りの処置でいいかとの確認。

私は承諾の旨を伝えた。

夕方、病院へ戻る。

面会すると「(私が)帰った後、急に息苦しゅうなっての・・」

と、ベッドに横たわって話す主人がいた。

「今は、ちょっと楽なんじゃ・・」と、酸素のマスクを装着してもらった主人がいた。普通に話した、入院患者とその家族のように普通に話ができた、少し安堵した様子の主人が居た。

Drからは、連絡したい人に連絡を取ってくださいと言われた。

苦しくないように眠るような処方をするので意識のあるうちに家族と話ができれば・・と、言うことだ。

主人の妹、叔父、娘に連絡をいれる。

4月1日の夕方。

市民病院へ転院してからのこと・・

圧迫骨折については、

そのまま安静を保つとのこと。

と、言うか、

諸々の数値が良くなく手術対応で無いとのこと。

思ったとおりだ、私がDrならTVドラマでは無いのだからOPEはしない。私はDrでもないが、、こんな時、TVドラマでは誰も手をつけないような状態のOPEをする。笑

この時主人は、OPEをするにはリスクが大きすぎた。

圧迫骨折についてはそんなリスクを冒してまでOPEをするよりも

2~3ヶ月安静を保ち、その間にその他を治療しようと言うことになった。この時、腹水や肝機能もそうだが肺機能がかなり悪かった。

Drから説明を聞いた。

間質性肺炎、あまり良くない状態とのこと、何時「ドカンドンッ」と来るかも知れんこと、その時はどうするかと言うこと、挿管したとして確実な保証の無いこと、必ずそうなる訳でもないがそういうことも起こりうるというリスクを想定しての話を前もって伝えるということ。。

この時私は、驚くでも無く、悲しむでも無く、震えるでも無く、淡々と聞いていた。主人は、私より先に逝くんだろうな・・と言う思いがどこかにあったと思う。

それからは、仕事から帰ると病院へ行ったり、行かなければならない用事(主人の用事)へ行ったりした。

4月1日、年度変わりと言うことで市役所へ行った(かねてより話していたお借りしている土地のことについて)帰り面会に。

主人は、ベッド上で座り(動けないのでベッドを起している状態)昼食をすませた時だった。

「今日な、市役所行ってきたよ、(返す土地の事、その上に建っているうちの所有の家の事)色々段取りだけはしとくけぇ、後はあんた退院したらやってや」と、書類などを見せる。

頷く主人。

「(家を壊すとなったら)これが、大分かかるぞ」と、右手でお金のマークを作った主人。

「そんなん言うとられんやろ!?いくら掛かってもせんといかんことはしとかんと、○○(娘)に背負わせたらいかんやろ!」

頷く主人。

「ところで、あんた、家こかす(家を壊す)金、ちっとは持っとるんかな?」と聞いた。

この時、私は言葉に言いよどんだ。。

最初に口をついて出ようとした言葉は、

「あんた、葬式代くらい持っとんかな」だった。

私にとっては目の前の困り事は、この人の葬式代だったのだ。

救急車で行った病院で圧迫骨折との診断は受けていたみたいだが、(私は付き添ってないので、聞いた話・・となるのだが)

そこは、入院体制がないので紹介された病院への受診と言うか

入院となる。

そこは内科系の病院なので、圧迫骨折に関して手術が出来るかどうかの診断の為、総合病院へ紹介状を書くという。

今頃って、紹介状が無いと受診や入院って難しい。。

地域連携何とか・・って言うやつだ。

で、手術が出来ればそのまま市民病院へ入院、出来なければまた戻って来てその病院で入院、ということで説明を受けた。

3~4ヶ月入院して、少し動けるようになったらリハビリをして・・との説明だった。

「手術は難しいだろう・・」的な空気が漂っていた院長の説明。

私もはなからそう思っていた。

まぁ、圧迫骨折で命を取られるような事は少ないだろう、、

それよりも腹水でパンパンに膨らんだお腹、そんなんで麻酔なんてかけられんやろう・・そのくらいは私にも解る。

アルコール依存症のしっぺ返しがやって来ていた。

そして、市民病院へ入院となる。

3月24日の事。