ごきげんよう

 

Soul Conversion Manager眞帆です。

 

心の燈火を灯し続ける愛ある皆様、

 

今日も私のブログにようこそ。

 

お読みくださり心から感謝いたします。

 

 

 

コロナという疾患は、
 
強毒でもなければ、不治でもないのに、
 
なぜか、差別が起こる。
 
同じ、風邪の
 
インフルエンザは差別しないのに。
 
 
差別というのは、
 
人々の在り方が最も問われ、
 
もっともあからさまに表面化する問題
 
だと思います。
 
 
二千年も前に生きたイエスも、
 
この事を説いた人でした。
 

 

イエスは、奇跡を起こす神のような存在

とイメージされていますが、


実際のところは、

政治家、精神的指導者、治療家

ということを行っていた、

民衆のリーダーだった

というのが一番正確ではないかと

思います。

彼がしたのは選挙運動に近い

 

 

今でも、

イランのハメネイ氏などが

そうであるように、

 


古代イスラエルは政教一致。

宗教的指導者は政治リーダーでした。

そもそも宗教と信仰をごっちゃにして

る人が多いですが、



宗教は、政治 だということを、

分かっておかないといけません。



イエスの出自は、今となっては、

全く分かりませんが、


イエスは失われた王族の血統であった

可能性があります。
(そのフィクション映画が
    ダヴィンチコード)

ローマの支配下。

 

ファリサイ派や律法学者が

 

自らの立場や利権、考えを優先するがゆえ、

 

形骸化させていく信仰を憂い、

 

その中で救いを求めて苦しむ民衆を救い、

 

ユダヤの国を立て直そうとした

 

可能性が高いのです。



そして、

12使徒は、失われた、

古代ユダヤの12部族を復活させ、

その際のリーダーとして、

据えるための人材だったと

考えられるのです。


だから、彼らはイエス党の

党員であり、

イエスが諸国を巡って

教えを説いていたのは、

イエス党の政治活動です。


そして、その一環として、

もしくは、イエスという人の

能力を示すものとして、

あるいは、人々への奉仕として、


度々行われていたのが、

”癒し” ヒーリングでした。


今でいう、

スピリチュアルヒーリング

と、身体的治療を掛け合わせた

 

ようなものでしょう。


当時はかなりの階級社会であり、

戒律や法律が今よりずっと重く、

一度でも法を犯したり、

忌むべきものと判断された病

などに罹患した人などは、

社会から排除される対象でした。


イエスはたくさん集まった

聴衆の前で、

そういう”卑しい”とされた人々を

”癒し””赦し”(ゆるし)、

解放していたのです。




それを見せることで、

人々に”在り方”を説いたのです。



自分は罪もなく、

病にも侵されていないからと、

その、卑しい人を

排除しようとした人々に、


自分の心も、

この罪や病にある人と

同じように、

罪を抱え、

病んでいる


だから、
他者を糾弾することはできない。

目の前の卑しい人は、

我々と何ら変わりがないと、


イエスは示したのです。


人を赦すなら、自らも赦され、

 

人を排除する者は、自らも排除される。

 

 

因果応報の法則です。

 

 

人間は誰しも、多かれ少なかれ、

 

差別をせずにはいられない生き物です。

 

だから、

 

ただ、相手を赦すというのは、

 

難しいことです。

 

 

しかし、

 

難しいけれども、自分が赦されるため

 

と考えるなら、

 

それを行うことは叶いやすくなるのでは

 

ないでしょうか?

 

それは、相手ではなく自分を赦すこと。

 

 

「赦す」 とは 「癒やす」 ことです。

 



「本当の自分を生きたい!」


そう思い、前を向くのは良いのですが、

失念されているのが、

”癒し” です。

もっと言えば、 ”過去を癒す” こと。


自分の記憶にもないほど、

潜在意識の深くに沈められたものから、


今思い出しても、ズキズキ痛む傷まで、

ちゃんと、その傷を癒さないと、

魂は解放されません。


ひとつづつ、傷を癒して、

解放を進めていくことが、

前に進むための最重要事項です。

 

 

人を差別したり、攻撃したりする人は、

 

自らが癒されていないことから、

 

そういう行動をとるのです。

 

 

もし、貴方が人を赦せないなら、

 

自分を赦せていない、

 

そして、癒されていない ということです。

 

それは、

 

貴方本来の姿ではありません。

 

 

外に向けている目を、

 

自分自身の内側に向けて、

 

癒やすべき、許すべき自分を

 

見つけてください。

 

そうするなら、人は”在り方”が変わります。




この二千年の昔のイエスがしたことは、

今にあっても私達に当てはまれるのです。


”癒し”とは ”赦し”


たとえ、どんな自分でも、

貴方を許せるのは貴方しかいないということを、

知っておいてください。


まずは、そこから。


 

 

 

 

 

今日もありがとうございます。

 

Love&Light  國領 眞帆 拝

 

 

 

 

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