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よねっと君が行く!かもしれない…

よねっと君が、地域のイチ押しなこと、おもしろそうなことなど
を随時、てきとーに発信するかもしれませんし、しないかもしれ
ません。よろくし。

安来市が総力をあげて取組んでいる国史跡月山富田城跡(がっさんとだじょうあと)第1期整備が昨冬一段落したようなので、先日、柳田調査員(仮名)を伴って現場を視察してみました。とにかく、ここ3年間でのビフォー、アフターの画像を比較すると一目瞭然。整備前の富田城跡の様子は「城めぐりチャンネル」というサイトを運営しておられるあきおうさんのご協力により画像をご提供いただきました。

 

月山富田城跡 月山富田城跡
月山富田城跡 月山富田城跡

 

あきおうさん曰く「バリカンを入れたような」という形容がピッタリとあてはまるほどの変貌ぶりです。たしかに城が機能していた当時は、防御の意味からも草木が茫々という状態ではなかったと思われますが、全体的にこざっぱりとした印象で、難攻不落の山城テイストから爽やか富田城にイメチェンしたのではないかという柳田調査員(仮名)の見解が言い得て妙。

 

「バリカンを入れたような」山の斜面
月山富田城跡(整備前:2012) 月山富田城跡
before   ©あきおう                        now   
月山富田城跡(整備前:2012) 月山富田城跡
before   ©あきおう                        now   

 

月山富田城と言えば、最初に築城された時期は定かではありませんが、14世紀末頃に入城した戦国大名尼子氏の居城であったこと、標高約190mの月山山頂部に主郭を置き、広大な丘陵の尾根部を中心に大小さまざまな曲輪や土塁、堀切などを配した本格派の中世山城であったこと、尼子氏の重臣「尼子三傑」の1人であり「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名な山中鹿之助の存在などにより、全国的にもかなりアピール度が高い城跡です。

 

往時の遺構を残していた軍用道路「七曲り」の雰囲気も激変
月山富田城跡(整備前:2012) 月山富田城跡
before   ©あきおう                        now   
月山富田城跡(整備前:2012) 月山富田城跡
before   ©あきおう                        now   

 

約170年にわたる尼子支配が終わり、1591年に吉川広家が入城(広家は間もなく米子城築城に着手)した頃には曲輪の石垣改修なども施され、次第に近世城郭へと変貌しかけますが、関ヶ原後に移封された堀尾吉晴が1611年、松江城を築城したことにより富田城は廃城の運命をたどることになります。

 

 中腹の山吹井戸から山頂部へ通じる登山路のすっきり感

月山富田城跡(整備前:2012) 月山富田城跡
before   ©あきおう                        now   
月山富田城跡(整備前:2012) 月山富田城跡
before   ©あきおう                        now   

 

今回の整備は、平成26年度に策定された「史跡富田城跡保存管理計画」及び「史跡富田城跡整備基本計画」に基づくものであり、歴史的景観の復元や遺構の修復、散策路の改修などを27~31年度の5年間で進め、歴史遺産や観光資源としての魅力アップを図ろうとするものです。

(その2につづく)

 

山頂部の三の丸石垣が発掘整備されている
月山富田城跡(整備前:2012) 月山富田城跡
before   ©あきおう                        now   
月山富田城跡(整備前:2012) 月山富田城跡
before   ©あきおう                        now   


協力:城めぐりチャンネル by あきおう https://akiou.wordpress.com/

 実際に訪れた城跡の見どころを大きな写真と個人的見解を交えた解説で紹介し、「読んだ人がそのお城に行った気になる」を目指す総合お城情報サイトです。↓

城めぐりチャンネル

最近ジャズ系の話題が少ないな…と思っていたところに「17年ぶり"聖地"復活」というセンセーショナルなタイトルとともに飛び込んできたのがこれ。世界にその名をとどろかせた松江の伝説のジャズ喫茶「ウェザーリポート」復活のニュースです。

 

カフェ・ラ・ピエール de ウェザーリポート

 

2000年に閉店した後も、鳥取大学医学部ジャズ研究会などの若手育成に力を注いでいた2代目オーナーや地元の熱狂的なファンクラブ「ウェザーリポートを愛する会」の皆さんなどに支えられ、松江市のイベント等でも活用されながら、たまーに期間限定でオープンしていたのですが、テナントビルの建て替えなど難しい問題に直面しつつ、完全休眠状態になっていました。

 

で、今回の復活劇。通常は「カフェ・ラ・ピエール」として営業する傍ら、金曜から日曜の午後8時~10時をジャズ喫茶「ウェザーリポート」とするものですが、70年代~80年代のジャズ喫茶が燃えていた最後期の記憶が甦る嬉しいニュースです。都市再開発など難しい局面を生き抜いたウェザーリポートはやはり不滅です。

 

❖ちなみに、2012年当時の様子をリポートしたものです。
ウェザーリポート2012.02.07 ウェザーリポート2012.02.07
◆永遠のウェザーリポート ①(2012.02.07)

 

ウェザーリポート2012.03.18 ウェザーリポート2012.03.18
◆永遠のウェザーリポート ②(2012.03.18)

4月22日に開催された「史跡米子城跡発掘調査現地説明会」。史跡米子城跡保存整備事業に伴い実施された、平成28年度発掘調査の成果「登り石垣」について濵野学芸員が解説する現地見学会です。ピーカン・ド快晴、それでいて暑すぎず、風吹くも爽やかなりという超心地よき日。こんなに過ごしやすい日は、1年のうちにもそうあるもんじゃない。

 

史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22) 史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22)
おそるべし参加者の数

 

普通に考えると定員はせいぜい50人程度のところ、なんと120人が参加というウルトラ大盛況ぶり。この天気と、18日の報道発表を受け、テレビ・新聞等を通じて多数報道されたおかげでしょう。しかも子供から元気な高齢者まで幅広年代の郷土&歴史好き老若男女が一挙集結といった風情で、集合時点から圧倒的な雰囲気を醸し出しています。

 

史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22) 史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22)
これが登り石垣だ!

 

さて現場は、城山の登山口を登ったときにひと息つく内膳丸別れのところ。ここから天守脇の遠見櫓めがけて延びるのが「登り石垣」。江戸期の米子城絵図にもはっきりと描かれていて、その存在は知られていましたが、実際に発掘調査を行ってその遺構を検出し確認したのは今回が初めてのこと。

 

史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22) 史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22)
史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22) 史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22)
熱心に解説に耳を傾ける参加者の皆さん

 

そもそも登り石垣とは何ぞや?ということなんですが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に日本軍が陣地として築城した「倭城」に見られる構造物で、城域の遮断線、山上と山麓の一体化、城の背後の港湾防御などの目的を持った、平たく言えばぐるり万里之長城的防御壁のこと。朝鮮遠征に同行した米子城築城の祖吉川広家がこの技術を応用し、深浦、中海側からの攻撃の防御ラインとして築いたと考えられるもので、全国的にみると、竹田城、淡路洲本城、彦根城、伊予松山城に次いで5例目という珍しい遺構です。

 

史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22) 史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22)
山稜の中腹あたりに掘られたトレンチを見学

 

今回の発掘調査では、絵図と同じ位置に約40mが検出され、遠見櫓と内膳丸を結ぶ尾根の稜線を利用し中海側の岩盤をL字状に削って石垣を積んでいる様子がわかりました。石垣は4段が遺存しており、上面の失われた部分も含めると6段以上はあったようです。高さは3mくらい。その上には土塀なども構築されていたのではないかと考えられます。結構な構造物ですね。

 

史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22)史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22)
見上げると遠見櫓がすぐそこに…

 

また、内膳丸側の石垣と一連の造作であったと考えられることから、もしや内膳丸そのものが登り石垣の一部だった可能性もあるわけです。もしそうであれば、全長200m以上にも及ぶ壮大な防御壁となっていたのかもしれません。このあたりは、今後の調査に期待したいところです。

 

史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22) 史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22)
史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22) 史跡米子城跡発掘調査現地説明会(2017.4.22)
天守からの眺望はサイコー

 

そんなこんなでひしめき合って登り石垣解説を聞いた後は、皆さんと一緒にお約束の天守登城です。現地説明会から流れた人たちばかりでなく、家族連れ、学生どうし、トレーニングマン、若人友人グループなど様々な人たちがひっきりなしに登ってくる米子城天守。予想どおり本日の眺望、サイコーです。

 

米子城に関するいろいろ情報コンテンツです↓もっと知りたい!米子城

史跡米子城跡発掘調査現地説明会(報道公開)史跡米子城跡発掘調査現地説明会(報道公開)

 

4月18日、米子市教育委員会による史跡米子城跡「登り石垣」発掘調査についての報道発表が行われました。これは、明後日4月22日(土)開催予定の「史跡米子城跡発掘調査現地説明会」に先立ってのプレ公開です。全国で5例目の登り石垣の秘密、米子城の成り立ち、海城としての魅力などなど謎が謎を呼ぶ米子城を深掘りする現地説明会にぜひお越しくださいね。

 

史跡米子城跡発掘調査現地説明会(報道公開)史跡米子城跡発掘調査現地説明会(報道公開)
史跡米子城跡発掘調査現地説明会(報道公開) 史跡米子城跡発掘調査現地説明会(報道公開)


さて、桜満開の湊山公園を後にして鳥大の宿舎をすり抜けていくと、昔の海岸線で、米子城築城よりも以前から海の玄関口として栄えていた「米子湊」に到着。ここで逆回りルートの別班とクロス。「お疲れー」的な友好ムードあふれるシーンです。そして表通りに出ると、ご存じ国指定重要文化財「後藤家住宅」。残念ながら今回は内部見学はなしで、「京橋」のたもとから外観を眺めるのみ。

 

2017 春の米子城下町がっつりウォーク!(2017.4.8) 2017 春の米子城下町がっつりウォーク!(2017.4.8)
米子湊&後藤家住宅

 

京橋を渡って旧加茂川護岸に下りると、ちょうど中海に向かうところの加茂川・中海遊覧「さくら船」に遭遇。旧加茂川沿いの桜並木、中海から見る湊山公園、城山など、まさに絶好のさくら船日和ですね。で、次に行ったのが「灘町後藤家跡」…。確か建物が壊されて更地になっていたはずだが…という予想は完全に裏切られ、今どきのカッコいいアパートになっていました。こういう風にして町は様変わりするのだなというのを実感します。文化遺産を継承していくことの難しさです。

 

2017 春の米子城下町がっつりウォーク!(2017.4.8) 2017 春の米子城下町がっつりウォーク!(2017.4.8)
さくら船&灘町後藤家跡

 

そしていよいよツアーも佳境に入ってきて、ちょっと脇に目をやると、放っておけないわんちゃんたちがいたりして、侮れない城下町ウォークを感じつつ赤い門が印象的な「吉祥院」へ。そこから「繩手道」を経由して到着したのが、米子の中世と近世の接点「中ノ棚曲り」です。2枚の写真を比べるとわかるように、この特徴的な道路の鍵折れをどう写すかによって、ずいぶん印象が変わるもんだなと思いました。

 

2017 春の米子城下町がっつりウォーク!(2017.4.8) 2017 春の米子城下町がっつりウォーク!(2017.4.8)
2017 春の米子城下町がっつりウォーク!(2017.4.8) 2017 春の米子城下町がっつりウォーク!(2017.4.8)
わんちゃん&吉祥院、そして中ノ棚曲りの鍵折れ2種

 

そうこうしているうちに正午となり、「中ノ棚橋」から流れ解散的に歴史館に向かって歩いて行こうということになったので、ここからは旧加茂川沿いの桜を眺めつつ、美しい景色を寫眞に収めつつのぶらり城下町散策気分です。ラストの寫眞は、後方の花ではなく手前の方に焦点が合ってしまったという失敗の作例ですね。

 

2017 春の米子城下町がっつりウォーク!(2017.4.8) 2017 春の米子城下町がっつりウォーク!(2017.4.8)
旧加茂川沿いの桜と…