よく「好きなことをして食べていく」、とかいうけれど、それが本当の意味で出来ている人がいるのだろうか?とふと思う時がある。(→本日の社長ブログのランキング )
「したいこと」の意味は「成し遂げたいこと」という意味として使う。
本当の意味とは、その仕事自体が本当に天職で、寝食を惜しんでもやり遂げたいと言う仕事だろうか?
そんなレベルでの志を持って、それもワクワクしながら仕事を取り組んでいる人はいるのだろうか?
そう思いたいだけではないのだろうか?
「仕事の道楽化」という言葉に理解できる部分はある。
本当の意味でといえば、首を傾げたくなる。
最近、「ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則 」の影響からか、会社の差別化・USPを、ここ数ヶ月に渡り、真剣に長い間考えているのだが、いろいろ浮かんでは消えの状態が続いている。
差別化・USPというのは、何だろう?
突き詰めて考えると、どんなに小さな分野でも良いから、何かで「世界一」になることだと思った。
それは「唯一無二の存在である真の自分らしさの追求」である。
少し角度は違うが、「一隅を照らす」という意味にも取れる。
ここに利益の概念(儲けのしくみ)を入れると、差別化・USPになるのだと思った。
これを両面から考えることが大変難しい。
会社の中心である社長が、「自分らしさ」を追及することが、「世界一」になれる条件である。
「自分らしさ」を本当に求めると、自分が本当にしたいことは何か?自分の能力が一番発揮できるところは何か?など、わかっているようでわかっていない自分に気づく。
みんな、案外、自分のことはわかっていない。
仕事でも生活においても、やらなければならないから、していることが多い。
人から言われるからしていることが多い。流されていることも多い。
これはこれで必要なことだから、良いのだが、本当にしたいことは何か?
食事しないでも、寝る間を惜しんでもしたいことは何か?
それぐらいでないと「世界一」を取れないような気がする。
本気で「世界一」と思っているから悩むのだが・・・
本当の意味で、それを見つけられている人はいるのだろうか?
今していることは必然だから、今していることの延長線上か、今していること自体が「自分らしい」ことで「世界一」になれることかもしれない。
今やっていることを一生懸命やれば、それにたどり着くという考えもある。
確かに、そうかもしれない。
論語に「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」とあるが、孔子だからそのようにいくのであり、我々、凡人、俗人は(人により差はあると思うが)10歳ぐらいは遅れて、「40にして立ち、50にして惑わず、60にして天命を知る」ぐらいではないかと思う。
今一度、動きながら、時折、立ち止まって考えている。
本当にしたいことは何か?
「45にして惑わず」となりたいものである。
でも、これを考えている時間は、苦しいが、実は私は楽しいのである。
自分を客観的に見る自分がいて、「自分探し」のようで面白い。ワクワクする。
混沌の中に真実が隠されている、気がする。
案外、足元にあるもののような気がする。
本当に、寝食を惜しんででも、やりたい仕事をしている人はいるのだろうか?
みなさんは、どうですか?
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