「7つの習慣」を読み始めて、現在第5の習慣のところを読んでいるのだが、第2の習慣の個人のミッションステートメントを書いてみた。本日は殴り書きのような感じで書いたため、今のところブログで紹介するのは恥ずかしいので、もう少し精査して、機会があればブログでも宣言してみたいと思う。


現在社内でも組織のミッションステートメントと個人のミッションステートメントを整合する作業を行っているのだが、来週月曜日にみんなで個人のミッションステートメントを発表しあう時間を持つことになっている。


個人のミッションステートメントを書きながら想う事は、自分が臨終の床についていることを想像力により想定し、どんな人生だったと想いたいか、人からどのように想われたいかを想像しながらの作業であるため、自分の内面と向き合うことになる


そう想い・想われたいために、今をどう生きるか(どう考え、行動するか=第1の創造、第2の創造)という個人の信条のようなことを書き連ねる作業である。


人はよく「生きている」という。

でも、死と向き合うとき、自分は「生かされている」と気付く。

なぜなら、死は自分の力で止められないことだからである。

(参考:TADANO Cafe 航海日誌  「生きる意味 」「”心”の健康 」より)


だからこそ、生かされている自分の存在意義や今置かれている現状で自分の命をどう活かすかという命題に突き当たる。


何のために自分は生きているのだろうか?


日常に埋没すると、こんなことを自問自答する機会は少ないと思うが、これも現在の自分にとって必要な作業なのだと思いながら、個人のミッションステートメントを書いた。また見直すときもくるだろう。ただ、これを書いた意義は大きいと思う。自分の内面と向き合い、死を意識しながら、今をどう生きるかを考えることは、どても意義深い作業だった


私の場合は、いろいろ書いてみたが、行き着くところ「良い縁もも悪い(と思われる)縁も、ご縁をいただいたすべての人に感謝し、感謝されながら死んで行きたい」という究極の目標に向かって、今の考えと行動をまとめてみた。反省することしきりでもあった。


力足らずで、これからも多くの人に迷惑をかけることがあるかもしれない。

でも、迷った時に自分を振返る場所が出来たような気がする。

(これまでも何度か同じような作業は行ったことがあるが、死まで意識した作業は初めてかもしれない)


道しるべとして、その道しるべが間違っていないかを(もうひとりの自分=魂から)時折確認しながら、残り半分?の人生を1日1日歩んで行きたいと誓った。


生かされていることのみに「感謝」


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