「お盆」って、何気なく使っているし、お盆と言えばお盆休みと墓参りや先祖が帰ってくるなどというぐらいは知っていましたが、皆様は本当の意味を知っていますでしょうか?(知っている人にはすみません)
お盆ですけど、私は仕事をしておりまして、仕事を前に進めたくても、相手がある仕事は連絡しても「お盆が終わってから・・・」というのがほとんどで、他にいろいろとすることはあるのですが、何気なくたどり着いたサイトで「お盆ってなに」というのがありまして、これぐらいは正確に知っておいた方が良いだろうと思いまして、読んでいたのですが、ブログにもということで書いております。
「お盆」って、正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」のことで、略してお盆といいます。
盂蘭盆とは、サンスクリット語の"ウラバンナ"を音訳したもので、「地獄や餓鬼道に落ちて、逆さづりにされ苦しんでいる」という意味で、そのために供養を営むのが、盂蘭盆会なのです。
釈尊の弟子の一人、目連尊者という人が、神通力で亡き母の姿を見たところ、母親は、餓鬼道に落ちて苦しんでいました。 何とかして救いたいと、釈尊に尋ねると、「七月十五日に、過去七世の亡き先祖や父母たちのために、御馳走を作り、僧侶たちに与え、その飲食をもって、供養するように」と教えてくれました。教えの通りにすると、目連の母親は餓鬼道の苦をのがれ、無事成仏することができたそうです。 この故事が、盂蘭盆会の始まりといわれています。
お盆(盂蘭盆会)は、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、私たち子孫が、報恩の供養をする時なのです。
毎年、七月十五日を中心に、十三日を迎え盆、十六日を送り盆といい、十三日から十六日までの四日間を、お盆の期間とします。ただし、旧暦の七月十五日や、月遅れの八月十五日を中心にお盆をつとめるところもあります。
本来は、仏教の行事だったお盆ですが、働く人は盆休みをこの時期にとり、故郷のある人は帰り、盆踊りをして楽しみ、生きている私たちの生活のなかに、しっかりと根ざしている、夏の季節の節目となっています。
お盆には、先祖や亡くなった人たちの精霊(しょうりょう)が灯かりを頼りに帰ってくるといわれ、十三日の夕刻に、仏壇や精霊棚(しょうりょうだな)の前に盆提灯(ぼんちょうちん)や盆灯籠(ぼんとうろう)を灯し、庭先や門口で迎え火として麻幹(おがら)をた焚きます。それが「迎え火」です。盆提灯をお墓で灯し、そこでつけた明かりを持ってしょうりょう精霊を自宅まで導くという風習もあり、これを「迎え盆」ともいいます。 麻幹=芋殻
十四日、十五日は、精霊は家にとどまり、十六日の夜、家を去り、帰ってゆきます。この時には、迎え火と同じところに、今度は送り火をたき、帰り道を照らして、霊を送り出します。これを、「送り火」といいます。
簡単に言うと、「先祖の報恩の供養」「先祖への感謝」を表す行事と言えます。
常日頃、私たちは自分や周りの人達(家族やお客様・友人・知人など)にしか目が行かないものですが、このような機会に先祖がいたから自分たちが生きていることを実感し、感謝することが出来ます。
両親からはじまり、その両親、そのまた両親とどこまで先祖は続いているのか?
と思ってしまいますが、脈々と受け継がれてきた「家」という概念、これは日本国の基本です。
「国家」ということばが国の家と書きますし、本来結婚は家と家がするものでした。
若いころはこんなことを何も考えずにお墓参りに言っていたのですが、結婚して子供たちが出来ると、いろいろと深い意味に興味を持つようになりました。
私の家のお墓は、数代に渡って先祖が埋葬されていますが、この人達のおかげで私があるのだなあー!
これからはより一層、先祖への感謝の想いを強く持とう!
先祖の想いを受け継ぎ、子供たちへバトンを渡していかないとと想っています。
昨日は、仕事の合間に、そんなことを考えながらお墓参りに行って来ました。
「感謝」
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