好きな男と別れる時、私は右上腕の内側が必ずーうずくー。
キリで刺される痛みではなく、濁った澱が溜まっているような鈍い痛み。
セックスアピールも薄いこの無防備なやわらかい部分に。
たぶん、この現象は私固有のものだろう。
このうずきを感じることで、「あ~、この男とは本当に別れるんだな」と自覚できるのだ。
そして宇宙の彼方であえいでいる精神状態から、やっと自分の美意識をとりもどすことができる。
結納も決まっていたにもかかわらず、結婚にしりごみしだした男から私は離れていった。
その後、長い手紙が届いたが二度と逢うことはしなかった。
しかし、体は 『もう一度』 と叫んでいた。
底冷えのする真冬の駅で、若い女の子に気を取られてしまった男の帰りを連日待った。
やっと3日目に逢えたが、次の日駅に向かうことはもうなかった。
しかし、心は 『また明日』 と信じたがっていた。
どちらの場面も、心臓が溶けて肋骨の隙間から流れ出るようなせつなさを感じた。
その中で、私はうずく右腕を抱えていたのを今でも覚えている。
心と体を思いのままにさせてはいけないと、うずきは私の肩をたたいてくれた。
その先に甘く美しかった過去は存在しないから。
どの道、別れるのであって、どの道、どこかでせつなさと寄り添わなくてはならないのなら、それは今だよと腕がおしえてくれる。
私にとって、別れの美学とは 『私の明日』 が今より有利でなくてはいけない。
そして、同時に女のプライドも美しいままでいられる。
そのプライドのかけらを持って明日を迎えるために。