「ニャンニャン」だとか「チョメチョメ」(山城新伍さんがテレビ番組で盛んに使っているのをリアルタイムで見ていて、ことばが醸し出している雰囲気で「大人になれば分かるようになるだろう」と思っていた)だとか、そのことばの響きに、昭和の時代でも、眉をひそめたり、目くじらをたてる人もいたが、ある程度までは受け流していたようなおおらかなところもあったと感じる。
たとえば、今、カタカナ語から日本語表記への言い換えなど、必要なことはあまり積極的ではないけれど、リスク対策とばかりに、ことばは刃にもなることを頭の片隅に常においておかなければならないけれども、ことば狩りにびくびくしているくらいなら、今の時代だからこそ、ソーシャルネットワーキングサービスをあえて「見ないこと」(最初からしないこと)、「それらから適度な距離を保つこと」、顔が見えないから言っているのだと自分に言い聞かせるように、「受け流す技術」が必要だと思う。