受験の思い出 | モデラー推理・SF作家米田淳一の公式サイト・なければ作ればいいじゃん

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 いろいろと大変でした。
 私自身、楽しいことに集中しすぎてほかを忘れる典型的な片付けられない人なので、勉強は歴史と国語ぐらいしか出来かった。
 で、もともと私は初期ファミコン世代、ゲームが好きで、特にグラディウスシリーズにははまった。
 その自機ビックバイパーは何百回と描いて、はまった。
 ドラクエなんかにも興奮したけど、やりながら、これ架空の世界ではなく、現実世界っぽくやってもいいんじゃないかな、と思い始めた。
 そして、少しずつシナリオや設定を考え始めた。中学2年生の頃だった。


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そのビックバイパーを突き詰めて、結果シファという有翼の人間型人間サイズの戦艦となり、それを巡る防衛省・財務省・官邸の話としての現在の私の小説、プリンセス・プラスティックの基礎が築かれたのだ。
 
 弟がいた。
 6歳年下で、よくけんかもしたけど、でもゲームが一緒に好きで、よくあそんだ。

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 私はグラディウスは難しすぎたけれど、続きの沙羅曼蛇を必死に攻略した。
 それでも無理で、結局はじめて100円で1周できたゲームは沙羅曼蛇と兄弟関係にあるライフフォースだった。
 コナミのグラディウス系のデザインは本当に好きで、今でもあこがれる。
 それを弟の前で1周してみせた。
 弟はとても喜んでくれた。
 
 だが、その年、その弟は死んだ。
 ウイルス性脳髄膜炎という病名が後から付いたが、当時は未知の病気だった。
 元気な弟にしてはめずらしく風邪を引いたなと思ったら、あっというまに入院になり、あっという間にカテーテルだらけになり、そして私が音楽の授業を受けている時に、死を知らされた。
 私は理解できなかった。
 今でも私にはその近辺の記憶がない。
 斜光線をエスカレーターのようにして上がっていく人々、その向こうの金色に輝く新宿のビル街。
 それが頭に焼きつきながら、私は倒れていたらしい。
 
 その頃、神奈川県では神奈川方式といて、高校受験が2年生の3学期から始まるようになっていた。
 それがアチーブメントテストというものだった。
 
 到底出来なかった。
 勉強というよりも、弟を失ったショックで、動けなかった。
 
 それでもバカどもはいる。
 特に公立中学、いじめはひどかった。
 
 それから抜け出そうとした。
 なんとしても抜け出したかった。

 そして、塾に入った。
 
 その塾が変わった塾で、個人経営で小学生から高校受験まで対応で、私は高校受験のために入ったのだが、当時実家に居づらく、結局塾の中にある書庫でマンガを読みまくった。
 そんなことをしながら、次第に高校でいじめられない為には、馬鹿どもと違う高校に行くしかないと気付いていった。
 ところが、当時私の学力とアチーブメントテストの成績では、偏差値50ちょいぐらいの学校がやっとだった。
 それが、塾の先生と話し合って、神奈川県の公立高校受験のためには過去問の攻略こそ王道、それに向いたドリル実施という筋を決めた。
 
 コピー機でドリルをコピーする。
 実際に書き込む。
 実際に赤ペンで自分で採点する。
 そしてまたコピーして、実際に書き込む。
 なぜそういう答えが出ないかは先生と話し合う。
 それを繰り返す。
 
 そして、そのあいだに小学生の授業の手伝いもした。
 面白い塾で、小学の社会の授業はクイズダービー形式だった。
 前に出る回答者に先生が倍率を決めて、生徒に持ちポイントをその回答者の誰にかけるかを決めさせる。
 生徒がともに正解するとポイントががんがん取れて、最高得点者にオマケがつくというもの。
 ゲーム形式だったけど、さすがに小学生の問題を中学生が解くのだから楽勝である。
 すこしずつ居心地が良くなって、ドリルも進んだ。

 先生はちゃんとわかっている人で、伸び始めた成績を見ながら、それでも受験寸前に開西高校の問題をやらせてくれた。私には無理だった。
 でも、その後だから神奈川県の公立高校の問題が簡単に思えた。
 
 だが、こんなことをしらない中学校の先生方は必死に受験志望校を下げさせようとした。
 当時、5教科50点満点の250点のうち、私の必要な点数は242点以上だったらしい。
 1問2点、5問間違えたらアウトである。
 
 でも、私は怖じ気づかなかった。

 確かにマンガばっかり呼んでいた。
 AKIRAや気まぐれオレンジロードに心動かされる中学生だった。
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 それでも、塾の居心地が良くて、勉強が楽しかった。
 点数も上がったし、わからないところを質問できる程度には学力も上がった。
 
 そして、神奈川県の業者テストでは、直前すぎてランキングには上がらなかったが、あともう1回早く業者テストを受けていたら、ランキング入りするところだった。
 
 万全の体勢で、どっしりとした安心感とともに、受験した。
 
 合格発表日、学校から志望校へ向かうバスから、一人が降りた。
 それが、現実だった。
 
 私はそのバスの終点、志望校に着いた。
 
 神奈川県央では、2番目の学校だった。
 偏差値は……まあいいか。
 
 でも、私はそこから、その受験の時の成績を貯金として食いつぶしながら、それでも文章を書いたり、絵を描いたりと楽しい3年間を過ごした。
 いじめもない、楽しい季節だった。
 
 高校生になって、女の子との淡い恋もあった。
 親友も出来た。
 先生にも、すばらしい先生もいたし、そうでない先生もいた。
 
 もう受験シーズンも半ば。
 あのころの今頃は、勉強といいながら塾に籠もって、マンガを読んでいた。
 それが今の仕事につながっている。
 ありがたいことである。
 
 受験というものの良いところは、ルールと方法さえ間違わなければ、競争と意気込まずとも、努力が報われるところにあった。
 だから、マニアックな問題ばかり出る学校の試験は嫌である。
 どちらかというとセンター試験みたいな、まともな試験の方がいい。
 そして、そういう試験で点数を取ると、問答無用で結果がわかるところが良かった。
 詰まらぬ嫉妬も、あのころは受けても『馬鹿どもが』と笑えた。
 
 一般社会は、嫉妬とか、嘘とかが一杯である。
 でも、学校は、その学校のルールに従えば、ちゃんと結果につながる。
 正しいルール、正しい方法が大事だった。
 
 今、私はそれのない世界にいる。
 アメノミナカ宇宙論なんて言っていたが、数日前ホンモノの物理学者が発表した者とほとんど同じだと思う。
 でも、私は評価されない。
 正しい道を歩んでいないからである。
 道のないところに道を造っているからである。
 
 でも、今はユキさんがいる。
 書きたい世界は、ますます成長している。
 キャラクターも成長している。
 描写する道具もそろってきた。
 
 すこしずつ、正しい道に戻れそうな機がする。
 正しいとされている道は、現在朽ち果てつつある。
 でも、私は先輩や先生のおかげで、大事な本当のルールを学んだ。
 
 浪人回しを私は知らない。
 2浪までして、3浪めで挫折したけれど、でも大学の先生とも交流がある。
 単語カードなんて意味がないことも知っている。(文章ごと覚えるべき)
 深夜放送を聴きながら勉強しても、成績は上がらない。
 神頼みする前に、まず1枚でも多くドリルを解くべきだ。
 どんな神様も、覚えていないことまで答案に書けるようにしてはくれないのだ。
 
 それを学べて、私は、受験というものを子供が通るのは、教育上、いいことだと思う。
 挫折したっていい。
 失敗したっていい。
 遠回りをしても、望み続ければ、かなう。
 学歴があっても変わらない世界が現実社会だ。
 結局、学歴は結果で、人間としてのポテンシャルはそれ以前に定まっている。
 世の中は不公平である。
 私のような家に籠もって勉強しても駄目な人もいれば、四六時中外で泥にまみれてスポーツしていても司法試験だの医師国家試験に受かってしまう人がいる。
 
 転ぶことが問題なんじゃない。
 転んでもはい上がれることを学んだほうが、人間として強くなる。
 そして、その苦しみは、苦みとして、心のありかたを引き締めてくれる。
 不平等な世界に我々は生まれた。
 でも、結果はそれぞれの努力と、運と、あきらめない気持ちだ。


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 ちなみに踊る大捜査線で警察内の東大閥だの東北大出身だのとあるが、父の飛行隊ではそんな学歴はかえって邪魔だったらしい。
 そういう実力の世界もある。
 
 そして、勉強から逃げても、学問からは逃げられない。
 学び、疑い、問う。それで学問という。
 その知性がなければ、仕事は出来ない。
 その学びは、どの職業にもある。
 父も結局航空学生ですさまじい勉強としごきにあった。
 私も、独学だったけれど、本を次々と丸暗記して、咀嚼する営みを続けている。
 
 私の場合、私がまさに運が強くて、好きなことが出来ている。
 もちろん、辛いこともいっぱいある。
 でも、好きなことが出来ている時間があるし、ほかにも好きなことがあるから、続けられる。
 
 私は受験を一つクリアし、その次はダメだった。
 でも、人間どこにチャンスがあるかわからない。
 そして、私は高校で仕事にしたとしても好きなことをすでに見つけてしまっていた。
 
 学校とは、好きな職業を見つけるため、そのエッセンスを幅広くふれる場だと思う。
 その点で、私は幸せだと思う。
 
 今となっては、楽しい想い出だった。
 あのころの淡い色彩も、今の自分の出している色も、どちらもあって今がある。
 勉強したくなければ、中卒でしか採用しない職場もある。
 そこでも結局勉強することになる。
 体で覚えろと言われることもあるだろう。
 でも、生きていさえすれば、なんとかなる。
 
 そうならなくて数日前辛かったけど、今はそう思う。
 
 そう思わせてくれるユキさんにも、感謝する。

 受験の想い出というと、あのスタートラインは後ろだったけど、結果準備万端だった高校受験と、結局別のことが好きになってどうでもよくなっていた大学受験のことを、こうして思い出すのです。

 結果が全てだったら、誰も生き残れない。
 誰も皆、結果を出せないでいるし、結果はほとんど全て通過点なのです。
 人は結果を見て褒めたりするけど、生きている当人は、常にみんな、道半ば。
 受験ごときで人生決まってたまるかと思うけど、でも受験というものにトライさせてくれた父母にも、感謝の気持ちを持っている。

 学校生活も懐かしいけど、その後の苦痛に満ちた闘病、そして虚飾と孤独の小説描きの生活と、私に想い出を語らせたらこうしてとまらないんです。

 どれも、私そのものなのですから。