2004年1月発行の文春文庫。サブタイトルが示す通り、わが国仏教界の最大の教団である浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の生涯を描いた作品である。
親鸞は洛外日野に領地を持つ日野有範公の長子として生まれた。その生い立ちから、父の失脚に伴い9歳で出家、およそ20年間を比叡山の不断念仏衆として修業に明け暮れたこと、しかし社寺権門の特権のもとでの堂僧生活に疑問を持ち、山を下りて、法然の弟子となったことなどが、生涯の伴侶となった恵信尼との出会いも含めて、順次語られてゆく。入門5年後には浄土宗が弾圧を受ける法難に遭い、師とともに流罪に処せられ、親鸞は越後に流された。非僧非俗を標榜しつつ、自身の宗教的立場を深めるとともに、辺境の庶民強化に努める日々であったが、越後は恵信尼の在所でもあり、子らも生まれて、おだやかな日々でもあったようだ。
およそ10年後、親鸞とその家族は善光寺の勧進聖とともに関東へ向かう。鎌倉幕府御家人の庇護もあり、積極的に民衆教化に勤めながら、経論の研鑽にも励み、彼の主著『教行信証』の執筆が本格化したのも、このころからであったらしい。原始教団の組織や教義上の問題点も萌芽してくるのだが、いずれにせよ、親鸞と関東の門弟たちとの繋がりは深く、帰洛後の親鸞の生活を支えたのも彼らの寄進なのであった。
関東在住は20余年、63歳の頃には、親鸞は京都へ戻ったようだ。京都では布教などは一切行わず、ひたすら教学の研究と著作に明け暮れた。したがって生活は逼迫し、恵信尼を在所の越後へ帰さねばならないほどであった。親鸞の死は89歳の頃であるが、その長い年月、彼はひたすら思索と著作に明け暮れたのである。
恵信尼との細やかな愛情や、子供の成長を喜ぶ親の一面も描かれるし、旅の途中などでの奇瑞の伝承も挿入され、そこに小説としての面白さも見られるが、作品の大半を占めるのは、親鸞が語る言葉や残した文献の紹介による、宗教の解説である。親鸞の思索の経緯を辿るためには、彼が読み解いていった膨大な書物がどのようなものであるかを示す必要があるし、彼が民衆の教化の際に語ったり、門徒からの質問に応えたりする言葉は、そのまま宗教上の教義に繋がるもので、自分のような不信心かつ無学な者には非常に難解なのだ。「自力本願」「他力本願」の意味でさえ朦朧としてくる。この作品は読売新聞朝刊に連載されたということだが、もしかしたら、新聞連載を楽しみにしていた読者も戸惑ったのではないだろうか。
それでも、わが家も浄土真宗大谷派であるはずだし、自分も70歳を越えて次第に人生のゴールが迫ってきたわけで、もちろんこの作品を読んだからと言ってどれだけその教義を学べたかは疑問だけれど、いまこのときに、親鸞の生涯とその教えに接したことは、よかったと思う。何よりも、親鸞の現生利益を求めずひたすらに学び続けるその生涯が、畏敬に値するように思うのだ。宗教家というより、むしろ学者と呼びたいほどである。
自分もたまには仏壇に手を合わせて念仏するべきだろうか?
2015年8月8日 読了













