2002年6月発行の新潮文庫。宮尾登美子さんを追悼して、もう一作読んでみた。朝日新聞の日曜版に連載されたことを覚えているし、1999年11月に朝日文庫に収録されたものの再文庫化だということだ。
宮尾登美子の作品系列を眺めるとき、この『クレオパトラ』だけが異色であるような印象を抱くのは、自分だけではないだろう。「あとがき」にそのことが触れられていて、日本の伝統的な芸と習俗の世界と、そこに生きる人々を描きつづけてきた著者が、なぜ突然に、外国を舞台にした小説を書くことになったかが簡潔に記されている。「自分の作品の生涯の主題として、女の生きかた、を定めたときから、この稀有なる素材はぜひとも私自身で、私のこの手で描き上げたいもの、と念じつづけてきたのでした。」 なるほど、著者としては一貫性があったわけだ。エジプトの女王にして、いまなお語り継がれる絶世の美女、しかも恋の相手はかのジュリアス・シーザーであり、マーク・アントニーであったのだから、クレオパトラほどの女性は他に探しようがない。
実は、新潮文庫発刊時に一度読んだのだが、そのときはただ読み流したという感じで特別な感興を持たなかった。その後、塩野七生の『ローマ人の物語』の文庫刊行が始まり、『ユリウス・カエサル』(全6巻)やオクタヴィアヌスを描いた『パクス・ロマーナ』(全3巻)などを読んできたので、その同じ時代をエジプト側から小説化したこの『クレオパトラ』が、今回は非常に楽しく読むことができた。歴史小説を読む場合、その時代背景をある程度知っていたほうがより多く楽しめるということを、改めて実感。
クレオパトラは、エジプトでおよそ300年続くプトレマイオス王朝の第3王女として生まれた。この作品は、14歳になったクレオパトラが王朝内の後継争いを避け、奥地へ逃れるところから始まり、本来は女性は国王になれないという掟の中で、弟と結婚して共同統治者となることにより次第に実権を握ってゆく過程が描かれてゆく。そして、ポンペイウスを追ってエジプトへやってきたシーザーとの出会いがドラマチックに展開し、やがて二人の蜜月時代へと入ってゆく。ローマ帝国の最高権力者であるシーザーさえも、クレオパトラの魅力の前には形なしという感じで、二人の間にはシ―ザリオンが誕生する。
シーザーがエジプトに滞在したままでは、ローマとその周辺に不穏な空気が流れることになり、彼はローマに戻ることになる。クレオパトラもその後を追い、ローマに住居を構えるが、そこにはシーザーの妻がいて、市民の目も冷ややかであり、彼女には必ずしも快適とは言えない暮らしであった。
下巻に入ると、シーザーが暗殺される場面となる。クレオパトラは悲嘆に暮れつつも急いでエジプトへ帰るが、彼の遺書は甥のオクタヴィアヌスを後継者として指名していて、シ―ザリオンには言及さえなかったことも、彼女を傷つける。
エジプトはナイルの恩恵を受けて一大穀倉地帯であり、経済的には豊かで、文化的にも成熟していたが、軍事力は弱く、ローマの動向に注意を払う必要があった。シーザー亡き後、側近であったアントニーと後継指名されたオクタヴィアヌスとが主導権を競い、アントニーから求められたこともあって、クレオパトラは彼に傾斜してゆく。体力と容姿に恵まれいかにも英雄然としたアントニーと、病弱ながら粘り強く危地を脱出してゆくオクタヴィアヌスとの対比が面白い。
アントニーもシーザーと同じくエジプトに長く滞在し、二人は幸福な時間を過ごし、子供にも恵まれるが、やがて、オクタヴィアヌスと雌雄を決する海戦となり、クレオパトラもエジプトの船団を連れて参戦するものの、みじめに敗れてしまう。オクタヴィアヌスはその後シーザーを凌ぐほどの権力を手中におさめてゆく人物であり、所詮、アントニーの敵う相手ではなかった。
この小説は、捕虜となったクレオパトラが毒によって自死するところで終っている。それはプトレマイオス王朝の最期でもあった。以後、エジプトもオクタヴィアヌスの支配下となるのである。
クレオパトラはシーザーやアントニーというその時代を代表するほどの人物と恋をしたのであるが、一方でそれは、大国の女王として、外交戦術でもあったわけで、必要に応じて、まばゆいばかりの演出も試みている。また、子供を得てみれば、一人の母親として子の行く末を思う気持はごく普通に芽生えてくる。女性の生き方を生涯のテーマとした宮尾登美子だけに、そのあたりがしっかり書き込まれていて、長大な物語であるのに、ぐいぐいと引き込まれてしまった。
読み終えてみれば、作品群のなかでこの『クレオパトラ』だけが異色ではないかという印象も、霧散してしまっている。巻末に膨大な参考文献リストが掲載されている通り、彼女は周到に準備してこの歴史小説に取り組んだわけで、これもまた、いかにも宮尾登美子らしい作品と言えるのではないだろうか。
2015年3月5日 読了











