1983年4月発行の新潮社版。全30巻の全集のうち、短篇集は第18~29巻となっていて、ほぼ年代順に掲載されているのが特徴である。短篇集としては5巻目にあたるここには、昭和24年7月~25年5月に発表された12編が収録されている。
試みに各巻の収録数を列記すると、『第18巻』35編、『第19巻』36編、『第20巻』19編、『第21巻』18編となっており、この巻の12編が随分と少なくなっていることがわかる。すなわち1編の分量は増えているわけで、戦前戦中の物資の乏しかった頃は雑誌のページ数にも制限があったと推察できる一方で、山本周五郎の力量が広く知られるところなって、著者も紙数を気に掛けず思う存分に書けるようになったのであろうとも思われる。
いつものように、収録作品名、発表年月、発表媒体と、その作品が収載されている新潮文庫のタイトルを以下に列記してみたい。
『落ち梅記』 昭和24年7月号「講談倶楽部」 新潮文庫『町奉行日記』に収録
『陽気な客』 昭和24年8月号「苦楽」 新潮文庫『つゆのひぬま』に収録
『契りきぬ』 昭和24年10~11月号「ロマンス」 新潮文庫『四日のあやめ』に収録
『桑の木物語』 昭和24年11月号「キング」 新潮文庫『あとのない仮名』に収録
『おれの女房』 昭和24年11月号「講談雑誌」 新潮文庫『扇野』に収録
『泥棒と若殿』 昭和24年12月「講談倶楽部」 新潮文庫『人情裏長屋』に収録
『おばな沢』 昭和24年12月号「講談雑誌」 新潮文庫『一人ならじ』に収録
『寒橋』 昭和25年2月号「キング」 新潮文庫『町奉行日記』に収録
『いさましい話』 昭和25年2月「講談雑誌増刊号」 新潮文庫『あんちゃん』に収録
『めおと蝶』 昭和25年4月「講談倶楽部増刊号」 新潮文庫『扇野』に収録
『菊千代抄』 昭和25年4月「週刊朝日春季増刊」 新潮文庫『あんちゃん』に収録
『長屋天一坊』 昭和25年5月号「講談雑誌」 新潮文庫『人情裏長屋』に収録
『落ち梅記』には、主人公の金之助と、いまは堕落した暮らしを送る半三郎、その半三郎に嫁ぐ由利江とが登場し、美しくすがすがしい友情物語が展開する。藩主の依頼で国元の不正を調べた金之助は、決定的な証拠を得るが、同時にそれは自らも処罰を受けざるを得ないものであった。裁かれる立場となる金之助は、裁く者として、半三郎を推挙するのである。半三郎もそれを受けて見事に立ち直るのだが、その陰で、由利江の存在が屹立して立ち現われてくる。結末で、由利江が金之助を訪ねるシーンは、涙なしでは読めないだろう。なお、『おばな沢』も、一人の女性を巡る二人の武士の物語であるが、結末は悲惨であり、読後の爽やかさは『落ち梅記』が勝っている。
『契りきぬ』は、精之助とおなつとの愛情物語。ともに愛し合ってはいるのだが、当初を辿れば、おなつは岡場所で作為的に精之助に接近したのであった。正式に妻として迎えにきた精之助であるが、おなつはそうした過去のいきさつを恥じて、彼から去ってゆく。自分を厳しく律するおなつは、いかにも周五郎作品にふさわしい。この作品も、最後の対面場面で涙が滲んでくるだろう。
『桑の木物語』は、藩政の改革を進める上での、主従の信頼の物語。『おれの女房』は、絵師の苦心惨憺と、その彼を見限って出て行った妻のお石の物語。夫婦愛を描くと同時に、後の長編『虚空遍歴』に至る萌芽が見えるようだ。
『泥棒と若殿』と『長屋天一坊』は、やや戯作調のユーモアを狙った作品。特に後者は、語り手を演者(わたし)と表記するほどで、すっかり講釈師になりきっているようだ。周五郎は泣かせるのもうまいが、笑わせることも負けてはいない。
『菊千代抄』は、女に生まれながら、男として育てられた菊千代の数奇な半生を描いた作品で、やや異色な感じがした。また、『陽気な客』は、この巻唯一の現代小説である。
こうして発表年代順に並べられた作品集を読んでゆくと、一人の作家が次第に深みを増してゆくことも実感できて、それも楽しい。
2015年3月11日 読了