藤沢周平 『隠し剣秋風抄』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 文春文庫の新装版。先日読んだ『隠し剣孤影抄 』の姉妹編にあたる連作集で、全9編が収録されている。

 ただ、前作では一子相伝の秘剣がいかにもそれらしく次々と紹介されたのに対して、こちらは人物に重きを置いているようで、酒乱剣とか汚名剣、女難剣と、剣技を振るうについても主人公の人間性との関わりが強いようだ。物語の最後に剣戟シーンがあるのがお定まりなのだが、苦心を重ねて編み出された秘剣が披露される確率は前作より低くなっている。なお、作中に藩名は出てこないが、前作同様に海坂藩が舞台であることは容易に推察できる仕組みである。

 初期の藤沢周平の作品には暗さが指摘されるのだが、この作品集には伸びやかさと控え目な諧謔があって、暗さは払拭されている。隠し剣を振るわねばならぬ事情は様々であり、上役の命令であったり、政権争いであったりするかと思えば、男と女の関係の縺れが原因であったりもする。『孤立剣残月』や『盲目剣谺返し』は、夫婦の結びつきもサブのテーマになっていて、武家物であるのに世話物のような味わいも醸し出しているし、『陽明剣かげろう』や『好色剣流水』は男と女の悲劇が描かれている。

 だが、本当に面白いと感じたのは、藩の政争に巻き込まれて剣を振るうことになる作品のほうだ。なかでも『偏屈剣蟇の下』は、心ならずも暗殺者に仕立てられてしまった男の物語で、あたかもこの作品が序章であるかのように、その後の波乱を予想させる結末が見事だ。また、『暗黒剣千鳥』は、藩主の寵愛を得て急激に出世した男を次席家老の支持で暗殺した4人のメンバーが、3年後に一人ずつ殺されてゆく、という筋立てで、ミステリーの味わいも濃厚な作品だ。剣戟場面にも迫力があり、最も記憶に残る一作となっている。

 藤沢周平を読んでいつも思うのは、文章の美しさだ。歯切れがよく、しかしほどよく抑制が効いている。だからこそ、何度でも読み返せるのではないだろうか。この作品も再読であったが、改めて面白さを感じつつの読書であった。

  2007年5月25日  読了