藤沢周平 『隠し剣孤影抄』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 文春文庫の新装版。姉妹編の『隠し剣秋風抄 』とともに、すでに2004年6月に新装版になり、文字が大きくなっていた。
 全8編が収録された作品集であり、著者が創造した架空の藩・海坂藩を舞台に、それぞれに秘剣を継承した武士の葛藤が描かれてゆく。最後にその秘剣を遣わねばならない状況に巻き込まれてゆくので、そういう意味では剣客小説とも言えそうである。しかし、凄まじい剣の遣い手である彼等は、表面的にはごく普通の下級武士であり、実直に城勤めをしているに過ぎない。そのため、妙にリアリティのある武家の生活の匂いが淡々と描かれ、その効果からか、剣戟場面の多分に想像力の賜物と思われる剣技の数々も、さもありなんと思わせる迫真性を備えていて、物語の面白さを倍加しているように感じる。
 試みにタイトルを列挙すると、『邪剣竜尾返し』『臆病剣松風』『暗殺剣虎ノ眼』『必死剣鳥刺し』『隠し剣鬼ノ爪』『女人剣さざ波』『悲運剣芦刈り』『宿命剣鬼走り』と、隠し剣の内容がある程度推察できるようになっている。例えば『臆病剣松風』なら、臆病者として妻からも軽く見られている男が主人公で、しかし彼は風になびく松のように相手の攻撃を受けることには巧みで、見事に藩主の護衛に成功するというわけだ。
 しかし、秘剣・隠し剣とは、その名の通り、本来は誰にも知られず一子相伝で継承されてゆくものであり、それを遣わねばならない状況はすでに不運なのだ。『臆病剣松風』のように、藩主の護衛を果たし加増を受けるようなハッピーエンドはむしろ例外で、物語の多くは悲劇の様相なのである。『必死剣鳥刺し』などは、「剣を遣うときは半ば死んでおりましょう」というもので、自分の死と引換に相手を倒すのだ。また、『宿命剣鬼走り』は他の作品よりボリュームがあって読み応えもあったのだが、主人公は何もかもを失った末に旧敵を倒し、自らも切腹して果ててゆくのである。
 そういう中で、『隠し剣鬼の爪』は誰にも知られずに鮮やかな一撃を振るい、しかも男女の関係も明るく描かれて、後味が爽やかであった。夫婦の愛が沁みる『女人剣さざ波』にも得難い味わいがある。
 一口に時代小説といっても、藤沢周平はやはり別格のようだ。この作品も再読であったのだが、そのことは小説を楽しむ至福の時間に何の障害もなかった。引き続き姉妹編も読みたいと思う。
  2007年5月1日  読了